きょうデスクなど最小限のものを引っ越し先に運び込みました。
建物の1階にある事務室に挨拶をしました。
この建物は文系のひとが1−3階にいますので、われわれ4階と地下で仕事をする人間はいろいろ隣人関係気をつける必要があります。
がらんとしたいままでのオフィスでこのブログを書いています。
人間は驚くほど可塑性が高いので、狭くなればなったで、それにじきに対応出来るはずです。たまにこういうふうにすっからかんに整理するとそれなりに気分がいいものです。
そういえば、関西のほうでは引っ越しのことを宿替えとかいうのを思いだしました。そういってみれば、それなりの実感もともないます。
オスロの講演は基調講演というオープニングなので思ったより時間がかかってしまっています。それに出発までに済ませねばならぬ事が山積しています。早朝の仕事がつづいています。
安倍首相が消えました。もちろんご本人はおりますが、就任当時の首相のイメージが完全に消えました。
同時に美しい国のスローガンも消えました。
残念でした。スローガン自体は良かったのに。
わたくしは国家の価値を本当に美しい国に向けるのなら、それはそれなりにすごいことだとおもいますが、マスコミ、世論どちらもまったく真面目にうけとめることはなかったのでした。
前にも書いたとおり、わたくしの戦後教育は日本はスイスのように永世中立国となり、その結果戦争がなくなり、それで誰もが感心する美しい国をつくるのだとおしえられて、それを半分以上は信じたものでした。後年、スイスに留学したのも、そのことがどこかに強く残っていたのかもしれません。
首相の郷里の山口県も美しいところの多いところです。
軍国主義を主張した政治家も多いいっぽうで、中原中也のようにいまでも青春の詩として愛唱されるすばらしい人も生まれました。わたくしも心から心服する吉田松陰も郷里のひとです。
どうしてこういう顛末になってしまったのか、これから時間をかけて誰かが安倍首相の政治はなんであったのか、どのように急速に瓦解するにいたったのか、検証する人がいるとおもいます。挫折が早かったがゆえに時がたつとその中にあった良さは思いおこされるかもしれません。
わたくしは、みかけ非常にちがうようですが、安倍首相の行動について、大正時代の白樺派という言葉が頭にうかびました。
当時の富裕階層の子弟が、西欧的な理想主義と急進主義に走って、芸術の発展、理想的な村の建設など、世間からきびしい批判も受けて、消え去ったものの、いまだになんらかのかポジティブなそして甘美な良さもあわせて思いだされるのは、その出自である学習院という日本の富裕層が生みだしたものにあったからかもしれません。
それに引き替えると、お友達内閣と揶揄された安倍首相の政治にはとても甘美なものを見つけるのは難しいのですが、育ちのよさ、一種の理想主義、いっぽうで崩れると早い弱さ、どれもある意味での魅力にもなりうるものです。
しかし、政治の世界、特に最初攻撃的ですらあった安倍首相の政治では、このような顛末を迎えるのは必然だったのかもしれません。ドラマとしてはもう続きは無いと思うので、安倍首相は政治からは完全に、去った方が本当にいいとおもうのですが。