岡田節人先生に文化勲章、信楽で、研究者の社会的意味の検証と心意気を示す

今朝の朝刊をみましたら、岡田節人先生が文化勲章をうけられるとのたいへんめでたい記事が出ておりました。先生はわたくしとしては、やはり岡田さんと呼ぶのがいちばんぴったりしていて、敬愛の念をもって「岡田さん、おめでとうございます」と大声でもうしあげたいです。たぶん今日はお祝いの挨拶も沢山あるでしょうからすこし時間をおいて、電話をしようと思っています。

文化功労者のなかに岩槻先生のお名前がありました。かつて理学部植物教室におられました。植物分類でたしかシダ類がご専門と聞いてました。学問の話もありましたが、やはり入試で一緒だったのと協議会の部屋でそばにおいでになって、温顔を絶やすことがありませんでした。
岡田さん、岩槻さんとむかしの理学部生物系の明るい開明的な雰囲気を思いだしました。

今朝は妻と信楽まで陶器の有楽展に行ってきました。
京都東インターから入って、草津田上で出ていきました、平素より5分か10分くらい早かったかもしれません。
ご主人がお亡くなりになってから出かけたのは始めてでした。着いたときは、まだ他に人もいなかったので、奥さまからお亡くなりになる頃のお話しをすこし詳しく聞きました。いちどはすっかり良くなったので、中国上海からの2週間の旅をして元気いっぱいの時期もあったと聞きました。ひとつ気に入ったものを買いました。最近はこういう購入で後悔したことはありませんし、これも気に入ったものになるでしょう。それにこれを見るたびにご主人のことを想いだせるでしょう。
そのあと古民芸のMさんのところによってすこし買い物をしてしばらくおしゃべりをしました。ご主人いっときよりずいぶん元気になりました。
おなかが減って、何かを食べようと思ったら、ちょうど道路脇にラーメン屋があったのではいりました。始めてでしたが、なかなか味のいけるのを食べて店を出ようと思ったら、有楽でかった食器の作者のパンフレットあったので、それを取ろうとしたら、店主さんがこのパンフレットも持っていってとかいうので、ついわたくしが、このKさんの奥さんが展覧会の手伝いで来られていたので、ちょっと前にしゃっべってきたのですよ、といいましたら、店主が髪をそめた当世いけめんの若い衆を指さして、Kさんの息子さんですよ、というのでほんとにびっくり。そういわれればお母さんによく似ています。
話を聞くとKさんの息子さんは店の手伝いにきていて、平素はやはり陶器をやってるのだとか。やはり信楽だな、と思いました。パンフレットによると、お父さんはやはり日本工芸会の正会員で重厚な作風です。わたくしのところはもっぱら食器のほうでお世話になっていましたが。
信楽で会う人たちはみなとてもいい感じのかたがおおいのです。
信楽も第二名神ができればずいぶん行きやすくなってまた活気もでてくるでしょう。

前からもうしあげてますように、この「休憩時間」のブログも1010回で終了したいとおもっています。同じサイトで別名で何かをまた始めるつもりですが、これはあと40回でおわりです。なにか終了に向けて、趣向をかんがていたのですが、とりあえず今日はごく短く、このブログのわたくしにとっての意味がなんであったかを申し上げておきます。

京大教授を定年退職してからの、みずからの社会的意味をなんらかのかたちで検証しつつ生きていきたい、という希望はこのブログでかなえられたと思っています。
ここまで毎日頑張らなくてもよかったと正直おもいます。
しかし、実名でブログを張る以上、研究者の心意気を示したいという気持がありました。
つまり研究者というのは、1年365日無休で起きているあいだは研究のことを考えつつ生きているのだ、とわたくしが言っても、この「休憩時間」をよむかたはそれがリアルに分かってもらえるとおもうのです。

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