依頼されていた日本語の原稿は終わって、今日送りました。推薦状はふたつ書きました。
英語の原稿のほうは、いま熟慮中。しかし叱られませんでした。
わたくしもかなり長いこと非常に小さい組織単位ですが、研究費を使ってものを購入するときの決定者となっています。そういうわけで、この間機器の選定に関係する業者とは直接接触することはほとんど無いようにしています。助教授などが研究室に居たときはかれらに細かい話を聞いてもらうという、スタイルをずっと取ってきました。もちろん公開入札のようなケースも沢山ありました。
研究費が僅少であった頃は気にならなかったのですが、やはり年間2千万円とか3千万円以上になってからはずっとそうしています。これは、やはり使うお金が税金であることによります。サッカーのレッドカードのように、違反は退場の目にあうかもしれないという、用心からきています。税金の使い方はどんなに少額でも、フェアーでなければ説明責任が常に発生するわけですから、細心の注意が必要、と思ってきました。機器購入でも、わたくしがラボ内で業者のひとと、もしも談笑してれば、他の業者がどう思うか、そのあたりまで気をつけてきました。ですから、業者さん達とは長年、まともな会話をした記憶がありません。
そういう生活が考えれば4分の1世紀以上も続いているので、うんざりしていることは事実です。
ただ大学の事務方の責任領分のところはわたくしは一切関与しません。そのレベルでのたとえ何か問題があったとしても、それは大学の経理方の問題なので、わたくしは関係上連帯者として、頭を下げねばならぬ事があるとしても、別にやましい気持はもちません。やはり研究室で個々の研究費目でわたくしが実際の決定権者になってるところは、何が起きても説明可能にしておきたいと思っていました。人間ですし、お金の使い方は多種多彩なので、うっかりなどはあるかもしれませんが、なにがあっても申し開きが出来るようにしてきたつもりです。
そういう人間からみると、昨日の守屋元次官の証言はあまりにあっけらかんと、業者との深々とした関係を証言するので、このひとは官僚としてそもそもやっていけないことを。ひとつでも矜恃として持っていたのだろうか、という素朴な疑問を持ちました。
マスコミの追求は非常に鈍いという印象です。これが防衛省の、はえぬきの官僚の倫理観とすると、膨大な防衛省の購入費には沢山の防衛省役人の賄賂、接待、利益供与がぶら下がっているのだろうとおもいます。トップがそうしているのだから、それが自然というものでしょう。
しかもこの守屋という人は、小池前大臣が次官にしようとした防衛省生え抜きでない人物に、恥を知れ、絶対に許さない、と面前で怒鳴ったそうです。
このふたつのセリフは自分には決して向かわない、精神構造のかたのようです。
純粋な自衛隊員はどのように怒っているのでしょう。その怒りの向かう方向はあるのでしょうか。
こういう人が世にはびこるのは、まちがいなく世も末になってきたことのあかしなのでしょう。
わたくしは、TBSが視聴者を欺して一時間以上にわたって、事実上のコマーシャル放送を続けた昨年だかのボクシングの試合の時に、マスコミからまったく自浄活動がでないのと、この御仁が防衛省でわがもの顔で好き勝手できたことはほとんど同根の原因なのだとおもいます。
つまり、マスコミ界と防衛省界隈では見て見ぬふりが蔓延しているのだとおもいます。つまり大なり小なり、みんな同じようなことをしてるのでしょう。もしくはおこぼれにあずかっているのでしょう。
首相と小沢氏が対談したとか。首相のつもりがわかりません。
小沢氏が反対を貫いても、世論は小沢氏を責める方向に決して向かわないでしょうに。