今日はまもなくポスドクとして新規に働き出すTさんがお出でになったので、いろいろこれからの計画なども含めてお話ししました。即戦力だし、実績もありますし、わたくしの提起した研究テーマにも興味を持っていただけたので、楽しみです。来月から来ていただくことになりました。
ラボ内では、どこにいっても話が筒抜けになるので、研究の話だけなら、いいのですがそうでもないこともあり、外に出てお話しをしました。別に隠すほどのことでなくとも、人事のことですから、やはりこういうときはちょっと困るというのが実感です。
中日ドラゴンズがいよいよ王手とか。日本シリーズで優勝がないのが50年以上とか、いうことですね。落合監督もえらく平静に見せてますし、声も小さくて、この50年の呪縛を感じないように強く意識してるようです。
昔は内紛が多い球団とか、中日新聞がすぐちょっかいを出してせっかくのが駄目になるとか、雑音の多い球団という印象でしたが、近藤監督のあたりから近代化して、星野監督で全国的に人気も拡がったのでしょうか。でもネットで球団の歴史を見ているうちになんだか、懐かしくなってきました。
わたくしが、小学生の頃に天知監督が就任して、西沢道夫選手、杉下茂投手がいて、中学生になった頃に西鉄に勝って日本一とのことでした。たしかに、憶えています。なるほど、53年前でしたか。
大学生の頃は濃人監督でしたか。それに権藤投手、懐かしいですね。
京大に職を得て関西で住みだした頃は、温厚な与那嶺監督で巨人のV10を阻止したのが1974年で、高木守道、星野仙一、矢沢健一でしたか。なるほど時代の変化を感じます。選手の名前を見ると。
わたくしも40才の頃に、教授になって一生懸命頑張っている頃は、近藤監督のもとで郭源治投手や牛島がいたのだということでした。長男の名前はドラゴンズに縁があるので、なんとなく中日ファンでしたが、リーグ優勝はしても、シリーズで勝てないのでした。あの小松辰雄で日本シリーズに出たのが、1981年なのだそうです。
そうか、中日ドラゴンズはいろいろ時代を反映しているチームだったのだ、と思いました。
星野監督がそのあとで監督になり、いま北京オリンピックチームの監督をして、いっぽうでこの頃にドラゴンズにやって来た落合選手がいま監督と、なるほど時代の一つの流れを人脈的にしっかり示しています。トヨタ自動車の勃興から現在の世界の頂点に到達までみると、名古屋時代なる言葉が生まれるかどうか、今回の日本シリーズの結果も影響するかもしれませんね。