権力、名誉、富  Power, honor and wealth

きょうは日帰りの東京行きでしたが、帰途娘の家によってRとAの成長ぶりを見てきました。この時期の成長ぶりはたしかに目を見張るようなものでした。こんなことを言ったら娘に叱られそうですが、13才の猫を見てるよりはずっと面白いし、活気が湧いてきました。そういえば、きのう夜家に帰ったらさっそく妻に叱られました。余計なひと言でした。 
新幹線に乗るとき久しぶりに週刊Sを買って見ていたら、わたくしが毎日通勤で前を通る東山三条わきの、古川町の入口の写真が出ていまして、そこのアーケード入口に「負け犬のなんとか」でベストセラーを書いた酒井さんという女性の方が浴衣姿で立っていました。これはわたくしにはどうもぴったりきませんでしたね。古川町商店街とこの方の組み合わせはどうもよくわかりません。その次のページに練馬江古田にあるイスラエルレストランの写真がありました。わたくしは、江古田の次の駅の桜台という駅の近くで子供から高校生まで育ったのです。

たしか長期信用銀行におられた、竹内さんという方が、随分前に書いた本で感心した記述があるのです。
戦後の日本の元気の良さの一つに、みながまあまあ平等だったと言うのですね。つまり同じくらい貧乏だったというのでしょうか。その証拠として、どんな職業のひとでもたとえトップに立っても、権力、名誉、富のうちの一つしか得られないでは無いか、と言うのです。例えば、資本家というか金満家は富を得ても、だれも尊敬もしないし、いわんや権力などまったくなかったというのです(松下幸之助さんのしゃべり方を聞いたら納得するはずです、彼のしゃべり方は迫力はすごくあるけれども、あくまで町人的なしゃべり方でした)。
政治家や高給官僚は権力はあるかもしれないが、富もなければ、だれも尊敬しない。日本の伝統社会で名誉を求めれば、富も権力も無縁というのは常識ではないか。まあ、こういう言い方ですね。これ、1960年代では非常にホントでしたね。これら三つのうち二つをはっきり持ってる著名人はほとんどいなかったでしょう。70年代もなんとかそんな感じが残っていたかもしれません。でも80年代以降どうも非常に変わってきたのではないでしょうか。このあたり、自制心はまったくなくなった人達が増えてるのではないでしょうか。と言うか、その頃から、日本という国を支える倫理の根幹のようなものが壊れてきたのかもしれません。
現象的には政治家の大半が2代目か3代目になった頃からですね。角界ですら、なんか人気がでるのは二世だけですか。つまり、親の職業はおいしいと子供が思うようになってからなんでしょうね。世間も本来継げるはずのないような職業でも子供が継げるかのようにやってるところが増えてますね。
金満家の子供が、まったく金にならない芸術の世界を目指すとか、名誉心に凝り固まった親の世界がイヤで実質性が高いビジネスの世界を目指すとか、むかししばしば聞いた話を最近聞いたことがありません。どうしてなのでしょう。

田中角栄という人が、どうもこの三冠王を狙った戦後初の人物ではないかという評価も聞いたことがあります。お金と権力は一時間違いなくものすごく彼のところにあったのでしょうが、名誉はどの程度あったのでしょうか。日中国交回復の功績でしょうか。わたくしの彼に対する評価はある一事によって、かなり低いのです。それはそれとして、なぜ彼があそこまでのし上がれたのかそれが非常に不思議なのです。
学問の世界ではいかがでしょう、どうなっていますか。これは典型的な名誉系の職業だったはずなのですが、最近は変わってきているのかもしれません。米国での変化の波及として、生命科学では金満家になる機会は増えました。もうすでにベンチャー企業で実例が出てきていますね。開業医師も地方によっては名誉と富の両方を得ることは相当に可能なようです。

こういう世の中をみている子供達はどのような社会を頭に描くのでしょうか。うまくやれば、自分もこれらの二つ以上を得られると。それとも、そのようなものはほとんど世襲的なのだから自分には関係がないと。それとも、権力、富、名誉などはまったく古くさいし、馬鹿らしい価値観と思ってくれたら、頼もしいのですが。

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