学位論文と原著論文の公表 doctoral thesis and publishing

やれやれ今日は非常にあわただしい一日でした。疲れました。

ラボジャルゴンというのでしょうか、ラボ内でしか通じない言葉がありますが、それを気がつかずに書いてると、いろいろ誤解されますね。なまじ同じ言葉をつかってもやってることが違いますからね。

わたくしの研究室はヘンな変わったところのある研究室です。ですから、このブログを読む人も常識とはかけ離れたところのあるへんてこりんなところがある研究室の慣習を読んでることがあるのだと理解してくださいね。違和感を感じるのことがあって当然です。もともとヘンなのですから。普通やらないことを色々やってますし。この研究室にくる若者でわたくしのかなりの悪評を何も知らずに来た人は一人もいないはずです。ですから、彼等もちょっと変わってるのでしょうね。だからわたくしは、彼等が好きなのです。変わったボスに変わった若者達のお話しというのが、このブログのトーンというか、前提なので、おかしなラボジャルゴンが横行してることも寛容であってください。また、あまり見習ったり、参考にしないでくださいね。

だから、外での常識で周りからいわれても、無駄とおもってください。

それで本題です。学位請求論文ですが、これはご本人にに書いて貰ってます。わたくしは提出前に見ない、文章書きの指導もしません。落語家の世界みたいなものです。
わたくしが口を差し挟むのはタイトルだけです。かつて、提出寸前にタイトルを見たら「細胞の研究」というのがあり、君、博士の学位論文にそれはなんぼなんでも広すぎるタイトルでないのと、替えて貰って記憶があります。あと、学位論文の審査の要旨とかの書類を本人に代筆して書いて貰ったら、たまたまその文章を提出前にみたら「20世紀最高最大の発見」というフレーズがあり、これはちょっと大げさなので、トーンを下げた記憶もあります。

原著論文、これはわたくしが書きます。それがわたくしの任務です。そのために何年もあれやれこれやれと指示してきたのですから。それをやってくれた人達(多くの原著論文は3人以上の著者です)の助けはできるだけ必要としますが、書くのはわたくしです。なかにはわたくしのもくろみがはずれ、また指導もうまくいかなくて成功してない時や、本人の努力不足などもあり、書きにくいと言うか書くのがつらい論文もありますが、これもわたくしが書きます。それも一つの責任でしょう。
それはこの研究室に来た人達は誰もが知ってることですから、その点だけは問題ありません。わたくしも、自分で書きたいと言ってくる院生がいれば歓迎ですが、今のところ希です。でもこの数年間で2,3回かなりの完成度の原稿を持ってきたケースがありました。

ただわたくしが、誰それの論文という、ラボジャルゴンを使ったので誤解されたのですね。5人ほどの人間の名前を言えばより正確な論文もあるし、一人だけの場合もあります。色々です。わたくしの頭では、ラベル代わりに呼んでるのですが、それが誤解されるのですね。だから誰かの論文でなく、あるプロジェクトが進捗して、論文公表の段階になったと言うことです。客観的には。
世間では、みなYanagida lab’s paperと言ってますよ。もちろんそれを前提にして、筆頭著者や他の著者の重要な役割があるのですが。
わたくしの研究室の院生もKN, MK, AMの論文とボスの名前を言って、それらの論文の筆頭著者である現場の院生の名前など憶えようともしないし、一顧だにしませんね。面白いでしょう。そのあたりはどこの院生もおなじですね。
ですから、院生諸君は学位を取るときの原著論文がホップステップ、ジャンプの最初のホップとおもわざるをえないのです。

追記:学位請求論文は僅か数部ですが、なんどもなんどもコピーされて、20年経っても読まれてるのが沢山あります。ラボの若者にとって先輩の作品であり手本であるだけでなく、原著論文にでていない貴重な情報が入ってますので、目を皿のようにして読むことが多いのです。それにプラスミドや抗体など作ったものの大切な情報もありますから。

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