なぜ日本は米国に従順なのか

きょうは夕方に、パリにあるパスツール研究所からきたAB博士のセミナーがあります。わたくしはかなり期待してます。この期待は彼の単分子観察とDNAを櫛形に並べる事から分かるようになったいろいろの知識の体系が、この研究室にいる若者達にどのようなインパクトを与えるのか、という好奇心と期待感です。もう一つの期待感は、わたくしが25年前に数年間続けてそこから足を洗った、DNAの単分子観察技術が現在どこまで発展してるのか、そのいちばん新しいところを知りたいのです。

昨夜はABさんが泊まっている宿の傍でいろいろ四方山話をしました。この飲み屋というかユニークなおじさんのやるおかり場は著名なひとをこれまで沢山つれて来てますが、皆喜んでイナゴを食べました。昨日のABさんはわたくしが説明をする前に、イナゴの佃煮をめざとく見つけて、ぱっと食べて、直ちに身振りでこの昆虫がなんであるか、飛ぶ真似をしましたので、大笑いでした。彼は、アフリカでは同じものを食べる、でもこれが食べた始めての経験でおいしいと言ってました。

かれは、やはりフランス人なら聞いてみたくなる、きょうのタイトル、なぜ日本は米国に従順なのか、とやっぱり聞いてきました。
彼は、日本には何度も来てますが、非常に日本的な風景の中に米国的風景そのものが突然出現することが不思議でたまらないようです。若者の服装とか、町の看板とか、そんなことを言ってるのでしょう。
でもいちばんの関心はもちろん政治的な日本の態度でしょう。原爆を二つも落とされて、なぜそうも従順なのか、このあたりがフランス人的関心の中心ではないでしょうか。正味のところ、日本人はそのあたり本当にどうかんがえているのか、というところでしょう。

わたくしもいろいろ指摘しましたが、その一つ、何年にもわたって占領行政がおこなわれていたこと、そのあいだ、新聞から出版物、さらには個人の書簡までに対して、きわめて露骨かつ巧妙に、米軍による検閲の仕組みがあったこと、がどうもいちばん説得力を彼に与えたようです。彼にはそのひとつの情報でかなり理解したような感じでした。真相はどうあれ、いろいろな理解のしかたがあるものです。いまグーグルで調べたら、検閲は4年2か月続いたとあります。かなり激しい発禁が沢山あったことはこれから日本人がとことん検証すべきでしょう。戦後を理解するために。
戦前思想は悪、戦後民主主義は善、これも米国人の強制とプラス助けを借りた日本人による自己教育でしょうが、これは彼に伝える前に、別な話題になってしまいました。

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