苦闘するポスドク

日本の科学技術にとって、多数の博士取得者が存在することが必須であることは大方の人々が認めることでしょう。しかし、一方でどれだけの具体的な数の博士取得者者が国内で研究に従事するのが適切かということになると、意見は大きく分かれるでしょう。一時、数万人のポスドクが必要だというスローガンが掲げられました、しかしその数が深い意味があったとは思えません。
その絶対数よりもどのような分野にどれだけの数の博士取得者がいるべきかが本当は重要なのでしょう。そして彼等がどこに住んでいるのかも考慮すべきでしょう。
博士号をもつ研究者を養成する大学院の数は国内では限定的です。野放図にポスドクを生みだしているわけではないでしょう。工学研究科などでは、文科省に登録している博士学生数の定員をはるかに下回っているところも多いのです。しかし、一方でライフサイエンスでは多数の新設大学院研究科が出来たこともあり、ポスドクの数が多すぎて、深刻な問題になっている、もしくは今後ますます深刻化するだろう、という指摘も強く出ていることは事実です。
ポスドクの側から見れば、個々の人間としては、将来を考えれば「苦闘」という言葉が当てはまるひとたちが非常に多いことは事実です。こんなはずではなかったと思うポスドクは半分以上がそうかもしれません。それは将来が不透明ということから来る、感覚的なものもあるでしょう。われわれのような年寄りが昔はもっとしんどかったなどと言っても、なんの役に立たないことは事実です。そのような「苦闘」するという将来像を持って、大学院に入ったわけではないのですから、当然でしょう。実際、研究室の主宰者になる門はかなり狭いのです。一期ブログで述べたように、50才くらいまでのポスドク生活を考えることも十分ありうる状況でしょう。しかし、そんなことを言えばわたくしがそうであったように、多くのポスドクから叱られるのも確かです。
しかし一方で、ポスドクの職があってもさっぱり適任者が国内では見つからない、という事実もあるのです。わたくし自身が探している沖縄での研究室やK大での研究室でもかなり宣伝はしているのですが、国内からはさっぱりポスドク候補者が現れません。いろんな教授のかたに声をかけても、うちにはいまおりません、という返事ばかりです。将来性のないボスである、わたくしだけかと思って聞いてみると、西のほうでも北のほうでもポスドクがなかなか見つからないという若手教授も含めた声はたくさん聞こえます。かなりの場合、内部人脈で間に合わせているのが、首都圏をのぞく全国的傾向かもしれません。
これはどうしてかというと、ポスドクともなれば、興味もかなりスペシフィックになっていたり(もちろん能力的にも)して、そう右から左に分野を変えられないし、変えることも出来ない、という事情があるのです。それにしばらく前に書きましたように、日本では首都圏の研究マーケットが巨大化して、多くのポスドクは首都圏において働いており、種々の事情で首都圏の外へは動きにくい(配偶者も働いている場合)状況もあるらしいです。遠く離れたところで働いている、研究者カップルも増大してます。
苦闘するポスドクを、単に一方向だけから光を当てても、適切な答えはでないでしょう。わたくしの沖縄の研究室でもポスドクが結婚しているのなら雇用者として配偶者の仕事も同時に考えねばなりません。京都のような大都市でも配偶者が適切な職を得るのは容易ではありません。驚くほどの低賃金の職がいまだにまかり通っている状況もあります。子供の教育に首都圏的発想で望んだら、「地方」の状況は望みなしに見えるかも知れません。結局のところ、ポスドク問題も、東京一極集中という問題から抜けでる事は難しいし、他の職種に見られる首都圏への集中と深く関わっているのでしょう。本当に数万人のポスドクを常時国内で人材マーケット的に維持するのなら、そのことを十分に調べ絶え間なく提言を繰り返すことを業務とするなんらかの機関が必要とおもわれます。

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