きょうからラボに出ました。みなさん、活発に実験やってます。さすがです。なかにはお尻に火のついている人もいますが、そうじて研究がおもしろいという姿勢でいます。たいへん、結構です。
小泉首相の年頭記者会見で、靖国参拝でまたまた強気の発言でした。「外国政府が心の問題に介入して、外交問題にする姿勢は理解できない、会談の道を閉ざすことはあってはならない。さらに日本国内で靖国参拝に否定的な意見がでることも理解できないと言ってるそうです。
asahi.comによると
一国の首相が一国民として戦没者に哀悼の念をもって靖国参拝する。日本人からの批判は理解できない。精神の自由に、政治が関与することを嫌う知識人や言論人が批判することも理解できない。まして外国政府が心の問題にまで介入して、外交問題にしようとする姿勢も理解できない。心の問題は誰も侵すことのできない憲法に保障されたものだ。
これなかなかインパクトのある発言です。下世話にいうとあちこちにけんかを売ってるような発言のような気もします。小泉首相は、去年の郵政民営化の時は、自分をガリレオになぞらえて、最後はたとえひとりになっても行くのだと、言ってました。これも、そういう心境から出てきた、正直な感情の吐露的な発言にちがいありません。
いつのまにやら、靖国問題は、中韓的な「歴史認識」と小泉首相の「精神の自由と心の問題」の対峙に段々なってきました。どちらに同調するのか、すくなくとも日本国内では、リトマス試験紙的な様相を呈してきました。
小泉首相、巧みです。かれの側に立つ日本人は段々増えていくでしょう。
外国でもマスコミレベルでは、相当な批判があっても、国レベルで正面切って、小泉首相を批判するのは、中韓二国だけになっていくかもしれません。
小泉首相の後継もこの問題と切り離すことが難しくなってきました。
これから、「心の問題」派と「歴史認識」派の対決が今年の9月まで続くのでしょう。わたくしは、政治指導者のトップが精神の自由と心の問題と規定して、この問題に対応しようとする、その姿勢に、戦後首相の誰もがなしえなかった独創的な国論のリードを感じます。政治的な問題ですから、どちらが正しいと決めつけられませんが、しかしこのようなかたちで国論をリードしようとした戦後始めての政治トップとして今後長らく記憶されるでしょう。今後の推移がたいへん興味深いです。