今朝のニュースなどを見ると、司直の判断がおりる前に、ライブドアは命運が尽きてしまうかもしれないようですね。株式の売買を停止してしまうとか、そうなったらこの関係の株を買っていた人達のお金はパーになってしまうのでしょうか、すごいものですね、マーケットというのは。7000億円とかわたくしにはほとんど実感が無い株式のお金が、吹き飛ぶのですか。ショックを受けている投資した人達が沢山いるのでしょうね。それに連れて,いろんな株式がどんどん低落してるので、この検察によって誘導された下落相場はそうとう広範囲な影響を生み出しているのでしょうか。次に何が出るのか,どうなるのか、予想する能力はゼロですが,でもなにかとんでもないものが飛び出すようね気もします。
ここまで書いたのが実は飛行機の中だったのですが、その後の株式の進展を見ると、今回の出来事は、検察庁による一般ネット投資家の抹殺事件としてながらく記憶に残る出来事と思われます。こぶしを振り上げた、検察庁、それに追随するマスコミ関係者がこれから、何を言い出すのか興味深いですね。
きょうは、朝11時の便で関西空港から沖縄です。先月は行かなかったので,長いこと行ってない感じです。昨日は東京から大学に帰ってよるまで仕事してますので,東奔西走というか、東奔西飛です。体調も十分回復してないので,疲れたくないのですが,やはり疲れます。
懐かしい言葉を聞きました。今回の芥川賞の絲山さんという人が言ってました、芥川賞をもらうのは、足の裏についた米粒を取るようなものだという比喩です。
含意は,取らないと気持ちが悪い,しかしとっても食べられない、というもので,長年にわたって博士の学位を取った時の感想に使われてました。わたくしが大学院生になる前からあった言葉ですから,われわれの界隈では半世紀近く,少なくともいわれてきたのです。
それが、なんと芥川賞受賞者の口から出るとは、驚きました。やはり,純文学は食えないのでしょうか。そうかもしれません。いまの時代読むものは携帯画面のメールも含めて多すぎますから,読むのに難しい純文学を読む人の数は激減してるのでしょう。日本語の純文学はこれからも厳しいでしょう。純文学のような生きることの普遍性を追求する文学は日本人でも、やはりわれわれのように英語で発表しないと食べていけないような時代がやってくるのかもしれません。
それともうひとつ、この絲山さんがいってました。のどに刺さった小骨がとれたような気持ち,これはとれて気分がいい,嬉しいという気持ちが屈折して伝わります。しかし、この表現,外国人には分からないかもしれません。だいたい西洋の魚料理は前もって,骨を取ってありますから,自分で骨を分けて取り出して食べるような習慣はありませんから。骨が刺さったら,大パニックでしょう。
これら二つの,コメントとても日本的で東アジア系の外国人なら分かるかもしれませんが,西洋人にはむりでしょうね。
このかた,毎朝6時から小説書いてるとか。企業で働いてる時は一日20時間も働いたことがあるとか。うちの若い学生さんに聞かせたい話です。足裏の米粒をこれから取ろうとしているもしくはとったけれども先がみえない人達のお手本になれますね。
直木賞は理系,工学部の電気出身の東野さんという方でたくさんベストセラーもあったようです。何度も落ちて,審査員の悪口をずっと言っていたとのことでした。審査員に好かれるのはどこの世界でも大変です。このかたの苦労は理系的な論理性と潔さに原因があるのかもしれません。この東野さんという受賞者の言葉も気に入りました。
本嫌いであった少年時代の自分が好きになるような本を書く。
内面を掘り下げるような記述はしない,他人に分かるのは外面だけだから。テーマは人間のもつ揺らぎ。
一度も読んだことが無いので読んでみたくなりました。