余計なひとこと

沖縄のメンバーとはときたまiChatという画面を見ながら話しをします。わたくしは、電話でしゃべるよりずっと能率もあがるし、納得のできる話し合いが出来ると思うのですが、相手はどうもそうおもわないようです。顔を見て言われると、強制されるような、気になるみたいです。わたくしも、反省はしてるのですが。でも、きょうはの場合はやはり顔をみての話し合いがずっと分かりやすいと納得されただろうとおもいました。

今朝の朝刊の朝日の社説でしたが、「論文捏造疑惑 東大は自らの手で解明を」というタイトルでの論評で、「ーー大学や研究機関にこそ自らの手で正し、再発を防ぐ決意が求められる。きちんと調べて、納得のいく対策を取る。それが日本の研究をリードすると自負する東大の責任でもある」と結んでましたが、この最後の部分に引っかかりました。それ以前の内容は読まれて頂くとよいのだが、東大の対応にどうも生ぬるさがあるのではないかという批判とわたくしには受け取れました。その批判自体は妥当なものと思いました。また、米国や韓国での対応と比較するのも適切だとおもいました。

しかし、なんで最後の文章の中に「日本の研究をリードすると自負する東大の責任」というフレーズが入るのか、その意義が分かりません。わたくしの知っている東大の先生ではそういう安直な自負心など持っている人がいるとはおもえません。自負してなければあまり責任もないのか、とつっこみも入れたくなります。だいたい、東大が自負するという表現、つまり人間でなく組織が自負する、というへんてこな文章構成です。こういう文章があるから、わたくしはだいたい記者さんの書かれる文章が好きになれないのだなと、改めて思った次第です。見過ごしがちですが、この短い文章の中で使われている言葉、つまり
日本の研究
リード
自負
東大
責任
がこのようなかたちで結びつけられて、表現されていることに、しかもそれがこの社説の結びであることにがっかりするのです。
捏造論文が出たら、自負心もへちまもなく責任を感じて対応するのが、大学の責任でしょう。日本の研究をリードするなどという、発想もほとんど有意義ではありません。あくまでも世界を対象に考えるべきです。また自負心という気持ちはもっと別なものに対して使いたいものです。些細なことのようですが、考えの基本に近いところなので、あえてひと言書いてみました。

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