おばの葬儀で湖西線、東海道新幹線、東北新幹線、東北線をのりついで、宇都宮から一駅先のJR駅につき、そこから、いとこの車でおばの家に向かいました。途中皇室の牧場の中を通ります。やはり行楽の車もあって予定より遅れ気味、11時の葬儀にギリギリ間に合いました。天気が良く、道中の眺めもよいので、距離感を感じませんでした。
今回が茂木町にあるおばの家を始めて訪問する機会となりました。
おばの長男はわたくしの父方のいとこと結婚したので、葬儀には母がたの親戚のほかに父がたの親戚も来ておりました。
旧家の大きな家ですが、おばは最後は病院ですごしたようです。大きな人だったのに、小さくなってしまいました。死後の容貌から、元気なころのおばの顔をおもいだそうとしました。合掌。
僧と親戚の言葉の中に故人のいろいろな徳を偲ばせるものがありました。いつもしずかにほほえんでるような印象がありましたが、おばの旧家の長男の嫁としての一生は深い苦労が伴ったのに違いありません。
享年88才と聞こえましたが、これは数えなので、わたくしの母と同じ年だったことになります。
火葬場は車で1時間かかるのと、宇都宮からはさらに遠くなるということなので、帰りの乗り物の都合もあり、親戚達と同行するのは、あきらめました。
また、いとこの車に乗せてもらい、奥さんもまじえて、昼食をとり、いろいろな話しをしました。いとこは県会議員なのでそちらの方の経験談も聞きました。わたくしも研究の話しをいろいろしました。
宇都宮からは行きも帰りもタクシーと思っていたので、世話になりっぱなしでした。
葬儀には、父がたのほうの最長老のいとこも来ており、ほんの短い時間でしたが、言葉を交わせました。また、かつて練馬の家でいっしょだったおばの義理の弟さんとも会えました。微笑するような表情から、50年前の顔の記憶が戻りました。笑い方というのは、一生かわらないのでしょうか。
ごく短い葬儀のための訪問でしたが、意義があったと思いました。
東北新幹線も東海道新幹線も下りが混んでました。
宇都宮から早朝とったルートの反対をたどり、夜には比良山麓に戻りました。
次男ももうすぐやってくるので、よもやまばなしが弾むでしょう。