米国では後1週間で中間選挙です。イラク戦争の苦境で劣勢を伝えられた共和党が、例の顔の長い民主党のケリー上院議員の失言で盛り返しているとか。この人が遊説中に、「大学生達諸君、一生懸命勉強して宿題もしっかりしないと、あの(利口でない)イラクへ派遣された兵士のようになってしまいますよ」、と言ったとか言わなかったとか。これが兵士を侮辱したと共和党というか保守派が鬼の首をとったように、攻撃しているそうです。ケリー氏は、兵士のことではなく、馬鹿なのは大統領と言ったつもりだとか、いずれにせよ、こういうことで選挙の結果が変わりうるとは、やはり元祖「劇場政治」の米国ですね。もちろん、北朝鮮が六者協議に復帰するというニュースも、ブッシュ大統領がしかけた、中間選挙向けのショーで、これで中国も面子がたったし、米中首脳はニコニコではないのでしょうか。すくなくとも、この一ヶ月くらいは。
大統領は中国人のおかげで、北朝鮮も交渉に応ずるようになったとか、いってるようですが、選挙が終わったら、厳しい締め付けが北朝鮮に対して行われるとおもいます。北朝鮮はわかったうえで協議の席に出るのは、かなり困ってるのかそれとも核保有国として、米中露と同格になったことを世界と日韓に見せつけようとするのか、どうなのでしょう。
このところ、日本の特に若い男性たちと接して感じることは、かれらになにか使命感を持てといっても絶対無理なのだろうかなどと、思うことが多くなりました。それじゃ、自分はどんな風に使命感を感じるようになったのかなどと、考えることがあります。
むかし放浪の天才画家山下清が、徳川無声という座談の達人とはなして、無声がある人が偉いのだといったら、山下清が「兵隊の位でいったら、どれくらい偉いのか」と聞いたということで、しばらくそれが流行った時期がありました。
元帥といっても、いまの若い人、団塊の年齢くらいまでは見当がつかないのでしょうね。わたくしと同世代のの尊敬するH教授のことを、彼がまだ40代なのに、われわれより20才くらい年上のある老先生が「H元帥、H元帥」と呼んでいたのを思いだします。やはりわれわれの同世代でも元帥の風格のある人物がいたのでしょう。しかし、いまじゃそんなこという人いわれる人も、上にも下にももいないのでしょう。日本では、大将も大佐も少尉もいなくなりました。もちろん二等兵などといっても、若い層にはなんの実感もないでしょう。
わたくしの育った、戦後は平和教育とはいえ実際には子供のあそびにはかなり軍事色が強かったものです。
禁止されていたはずの「軍事将棋」なるものがたぶん解禁されて小学校中学年の頃は良くやった記憶があります。駒を裏返しにして、いろいろ配置を考えておいて、駒を動かして、ぶつかったもの同士を見せ合ったもので、先に元帥を倒した方が勝ちだったような記憶があります。地雷は動けないけれども一回限り工兵を除いて、だれにでも勝てるとか、スパイつまり間諜は弱いが、元帥だけに勝てるのでしたか、そんなnルールでなかなか面白いものです。もちろん、大将は中将に、大佐は中佐に勝てる、そういうものでした。アナログの良さがあって、相手の顔を見ながらやるのです。元帥がどこにいるかとか、地雷がどこにあるかとか、顔に出てしまう子もいますので。
あと「すいらいかんちょう」なる遊びを幼少という時期にやった記憶があります。漢字が分からないのですが、もしかしたら、違う呼び方かもしれません。これも、遊び方はおぼえてないのですが。
ここでネットで探したら、このような説明が見つかりました。
水雷艦長(すいらいかんちょう) 2チームで対戦します。それぞれのチームで,水雷役数名,水雷艦役数名,艦長1名を決めます。 水雷が艦長をタッチしたら勝ちです。水雷は水雷艦にタッチされたら,相手の捕虜になります
話しが長くなりました。つまり、こういう遊びで、わたくしなんかは、使命というものをもっとも単純なかたちで理解したのだと思います。後には、いろいろ知識は付加されたでしょうが、でも使命というと、自分は地雷か、間諜か、工兵か、タンクかヒコーキかなどと、ごく単純に理解したものです。わたくしは生来のへそまがりで、大将とかそいうものにあこがれたことはなく、特殊任務をもった駒に愛着と感じたものです。
なお、いまこれをネットで調べると、軍事将棋ではなく、軍人将棋とでていました。それから、大将までで元帥が無いのですが、そうでしたでしょうか。それから、軍旗がありました。ややこしいルールだったような覚えがあります。
それから、このゲームをするには3人が必要で、審判がどっちが勝ったか判定する必要があるのでした。たしかにそうでした。だんだん思いだしました。