講義、講演の準備、先端医療をするための条件

明日は、講義がふたこまあって、二つとも新ネタに近いので、思いのほかに準備に時間がかかっています。でも晩飯まえにおわります。きょうは、滋賀県北部は西高東低型気候配置の影響で冷たく時雨れています。自宅に戻ればたぶんずっと天気はましだったのでしょう。
この比良山麓は、一山越えた高島とは気候がぜんぜん違うときとほぼ同じ時があります。今は、同じ状態、つまり北陸的な天候です。
講義のほうでのセントロメア・動原体のほうはF君の最近論文がとおった研究成果を話すのですが、ほんとに彼は立派な仕事をなし遂げたな、と準備しながらあらためて感心しました。ながい労苦と忍耐が実ったかれの成功はわたくしにとっても、非常に嬉しいことです。セミナーのほうは、この間北海道でしゃべった時のに、あらためた部分をかなり入れました。
今年の講演は、あと京大の医学部の博士の学生と先生方のリトリートでしゃべるのと、名古屋大学の大学院生の招待による講演、それと台北のがあります。呼ばれるうちが、花です。新データがなくなったら、呼ばれもしないでしょうし、自分が行けるとも、思えないでしょう。
われわれは、歌手や芸能人とはまったく別世界で住むのですが、ただ、このあちこちに出かけて講演をするのは一種の興行なので、色々と類似点はあります。
客種ととかどこまで受けたかとか。やった後の一種の達成感も、芸能興行となにか似てるところがあるのではないでしょうか。経験はないのですが。

毎日新聞に、万波医師が1982年頃に移植手術をした、患者の近親者のインタビュー記事が出ていました。わたくしは、こういう記事が非常に大切だと思うのです。ただ、23年前ですから、今の感覚で読むと、齟齬があるかもしれません。
この近親者は、医師を恨んではいない、しかし、実験の対象になったのではないか、という感想には重いものがあるでしょう。それと、患者は米国から来た死体腎臓の移植のあとがうまくいかなくて、二度と移植はしたくない、ずっと透析でいいと、言っていたというのも、やはり事実の重さを感じます。
医療の進歩、特に先端医療は、常に実験的要素があります。日本は後塵を拝する傾向がありますので、医師は先端医療でもまず西欧ではうまくいっている、もしくはうまくいくことがある、しかし日本では初めての医療という類の説明を患者にすることがおおいのではないでしょうか。それでも、不慣れとか日本人に特有の問題で、その医療が失敗するかもしれないのでしょう。患者を実験対象にしたと思わせてはいけないのでしょうがしかし、日本の医療で、世界で初めての医療を目指すためには、医師と患者がおなじ土俵、同じ目線で話し合い、なおかつ協力しあうのが大切なのだと思います。

医療を受ける人たちは非常に苦しい思いをすることがあるでしょうから、その患者のかたが腎臓を免疫の不適合でまた除く必要あったそうですから、二度とやりたくないという感情は十分に理解出来ることです。ただ、いまでは免疫抑制など技術は非常に進んでいるので、たぶん当時の出来事を今の医療レベルで回想すれば、いろいろな問題点が見えてくるでしょう。しかし、そこを検証すること自体はとても大切なことだとおもいます。
患者が医療の進歩に協力するためには、医師はどういう態度を取る必要があるのでしょうか。大学病院などでは、医師は極限的に忙しい環境下に置かれています。それでなおかつ、一定の業績を出すことが要求されているのですから、大変です。先端医療をするための周到な準備と果断な実行のなかに、患者からの全面的な協力があることが望ましいことは、間違いありません。しかし、先端医療をめざすはずの、医師達が忙しすぎるということにより、患者との協力関係を作る時間が非常に少ない、というのはわたくしも患者の一人になるので、よくわかります。説明不足という患者の意見は、医師には過酷とも聞こえると思うのですが、そこのところを乗り越えないと、日本の医療は根本的には良くならないと思うのです。

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