産む機械発言、再考

柳沢厚労大臣、やめたほうがここまで来たらいいのでしょうが、やめることができないようです。大事件になってしまいましたが、何でこのような発言をしてしまったのか。
先日わたくしも書きましたように、不適切というか、厚労大臣の発言としてはまことにまずいし、勇み足どころか野蛮なものでしょうか。でもなんでそんなことを言ってしまったのでしょうか。
朝日新聞では、1月28日に以下のような報道がなされています。
柳沢厚生労働相が27日、松江市で開かれた自民県議の後援会の集会で、女性を子どもを産む機械や装置に例えた発言をしていたことが分かった。
 集会に出席した複数の関係者によると、柳沢厚労相は年金や福祉、医療の展望について約30分間講演。その中で少子化問題についてふれた際、「機械と言って申し訳ないけど」「機械と言ってごめんなさいね」などの言葉を入れながら、「15〜50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」などと述べたという。
会場では発言について異論はなく、主催者からの訂正などもなかったという。

つまり少子化の社会的傾向について、なんとかせねば、そのために女性に対して政治家としてご本人は語りかけたつもりなのでしょう。
大臣のお母さんは、8人お子さんを産んだそうなので、母親に対する敬意は充分に持っていたはずなのに、どう語りかけていいか分からず、よせばいいのに、十分な準備もせずに口を開いてしまったのでしょう。
この記事をみても、自ら機械というのは不適切と分かりつつ、謝りつつ、女性の出産を機械がおこなうかのような比喩をしてしまったのでした。こういう謝りつつ発言をするというのは、要職の人はやらないことですね。これでは、大臣のお母さんだって聞いたら、それは違うというでしょう。
装置の数が決まっているという、いいかたも即物的で、わたくしはこれは最悪の表現だと思いました。

先日の繰り返しですが、大臣は生命についての語彙が貧困なので、適切な表現方法がわからずに、このような発言となってしまったのでしょう。でも多くの人々も似たり寄ったりでしょうが、常識をはたらかせれば、このたとえは大変よろしくないと思うはずです。本人も、まずいと思いつつ、言ってしまった、こういうところでしょう。政治家は言葉が商売の種なので、あっさりやめた方がいさぎよくて良かったのに、たぶんやめられないのでしょう。安倍首相も辞めさせたくても辞めさせられないのでしょう。

実は、生命を機械と例えるのは、研究者のあいだにあるもっともありふれた態度です。生命科学の解説書をよむと、よく生命の素反応や素過程を機械にたとえて記述することはよく見受けます。しかし、いくら解説書でも、女性の出産を機械にたとえて記述することはないでしょう。いわんや、機械装置の数はこれこれしかないので、該当のひとたちは、子供の数を増やすべく頑張ってほしいなどは、富国強兵時期の政治家ですら、決して言わなかったでしょう。当時でも出産は神聖な尊い出来事と、どの政治家でも言ったはずです。良いか悪いか別に、そういう母親を褒めそやしていたはずです。

そうなると、柳沢大臣はどのようなきもちでこのような比喩を言ってしまったのか、やはり正直な本音を聞いてみたいものです。大臣が前に読んだり聞いたものの中に、すでにそのようなたとえがあったのでしょうか。これから、政治家は恐がって、少子化関係の発言をせずに黙って実行だけするのも困るのです。政治家の、人口が多ければ多いほどいいという、発想は大変に日本にとってよろしくありませんので。

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