東京へきていましたが、ひとまず比良のほうに戻ろうということで、午前の新幹線で西へ向かっています。すばらしい快晴で富士山もきれいに見えます。温度もたかいのでしょう、かすみがかっています。景色を眺めているうちに、今年の畑作業のことがいろいろ頭をかすめました。名前を聞いただけなのですが、イタリア産のトマトをぜひやってみたいと思いました。比良の辺りでも11月まで収穫ができるとか。忘れないうちに、種を頂くか、苗を分けてもらう算段をしておきたいと思います。
旧正月はもうすぐですが、やはり農民的感覚では旧暦がほんとに実感がわくのでして、新春、お正月がもうすぐだとおもうと気持も浮き立つでしょう。立春のあとの新春、春から夏にかけての激しい屋外での労働を考えれば、あと一週間の時期に新年のお祝いのお祭りをするのがいいタイミングなことは間違いありません。毎日が日曜になってしまった人たちには、旧暦的感覚で日々を過ごしたら、新しい人生をかちえるにちがいありません。
駅で買った産経新聞に、退職後イメージの国際差についての記事がありました。フランス系の保険会社アクサの調査によるとこのことでした。それによると、日本人は退職後何をしたいか、について白紙的な解答がおおくて、具体的な考えを知ることは難しそうです。また、日本人は退職後の活動自体について、消極的であるとしています。
ただ注目すべきは、理想の退職年齢を日本人は就労者(25−54才)で60才、退職者(65−75才)で64才と、調査11国中でいちばん高齢なことです。理想退職年齢をそれぞれ53才、56才とした最も低年齢の中国と比べると、かなりの差があります。日本人は全体として世界の中でもっとも勤労を労苦としないようです。すくなくともこの世代では、という注釈つきですが。
そういうわけで、働き続けることが前提の日本人は総体として、退職後の準備は後回しになりがちという、結論はうなずけます。年金制度の不安もあり、退職後には明るいイメージを描けない傾向がある、との結論も妥当な気がします。退職後のイメージに最も肯定的な、米国とオーストラリア人たちについては、わたくしの個人的経験からもそうだろうとは思います。日本人は退職を肯定的にとらえるひとたちが50%程度しかなく、否定的イメージが就労者が31%、退職者が35%で調査各国のなかで、もっとも退職したくないという傾向が強かったようです。
日本の傾向で注目すべきは、退職後の準備を始めた年齢を、退職者は55才であるのに、就労者は36才であることで、日本の若い世代は親世代よりも20年早く退職後の準備を始めだしていることです。これが本当なら、非常に大きな地殻変動的な変化を日本社会にもたらすかもしれません。文化的、社会的に根本的な変化をつくりだすといいのだが、とわたくしは肯定的に捉えたいと思います。ただ、企業、行政、政治の巧妙な「だましのテクニック」にこの若い世代がのせられないことを、祈っています。とりあえず自分の直感を大切にして欲しいものです。退職後も結局はそれまでに身につけた考えやわざをなんらかのかたちで使うのは当然ですから、退職以前も以後もある意味で、連続的につながっているのでしょう。
わたくしは、現在の日本の年金制度に根本的な問題(複数)があるのだろうと思います。特に企業で働いてきた多くの日本人にとって、退職後働けばそこでえた給与分の多くが年金から差し引かれるのは、退職後の勤労というものがほとんど懲罰的な扱いをうけることで、勤労から遠ざかろうとする傾向に拍車をかけるものだと思います。わたくし自身もこの点にもっとも感情的反撥を感じます。悪法かつ退廃的とわたくしは断じています。
この一点だけでの年金改革を強力に主張する年金政党が現れたら、退職者を中心に相当の支持が得られることに間違いありません。退職後の勤労には色んな考えがあるでしょう。しかし、退職者の創意工夫の源はやはりなんらかの収入と直接結びつかねばおかしいと思います。現在のように、年金がきわめて低いひとたちが多数を占めるであろう日本では当然のことです。若い人たちの職を取り上げるなどというのはまったくためにする議論で、そういうことはありえないと思われます。
退職者はたとえ屈折した感情を抱えていても、黙々として低賃金で、笑顔をきらさずに仕事をつづける労働者層になるでしょうし、また地域の中でどんな仕事でもいやな顔をせずにやる、もっとも頼りになる働き手になるでしょう。なかにはもっとも先鋭的にして革新的な働き手になるひとたちも生まれてくるでしょう。退職者も若者と同じように成長し、発展するのです。これはわたくし自らの体験から言っています。
勤労を楽しみとかんがえる多くの日本人が世界から珍奇な目で見られることはないでしょう。むしろ尊敬をかちうるのと信じます。そのために退職後の勤労を懲罰的にとりあつかう現在の年金制度の変更が焦眉の急です。