今日がこのフィンランドの会の最終日ですが、明日の帰国予定を早めて今日ヘルシンキを夕方に出る便で帰ることに決めました。昨日は深夜まで付き合って起きていたし、もう充分という気持になったというか、おとといあたりからそういう気分になって、旅行業務をしていただけるKさんに連絡してアレンジしてもらいました。今日の午後の講演をいくつか聴けませんが、大切なことを聞き逃すことはないでしょう。これで一日早くたまった仕事も片付けられますから。今日は関空までの便もあるようなので、明日の朝につきます。幸いこの町の空港から小さい飛行機でヘルシンキまで行くので、空港の混雑にあうこともないでしょう。
コペンハーゲンから、こちらに来るのにはコペンハーゲンの空港の混雑に巻き込まれてかなり苦労しました。米国でのようなことはありませんが、日本での簡単な空港での手続きに慣れているとほんとにいやなものです。延々と長い列でどうしょうかと思ったのですが、チケットレスなのをおもいだしたのですが、どの記号を打ち込むのかチケットを見ても、ぜんぜんわかりませんでしたが、セルフサービスの機械の前にたっていた親切なおじさんのおかげでボーディングパスが手にはいりました。ちゃんとやりかたを聞いておかねばいけませんでした。
今回は英国で研究室を主宰しているO君とずいぶんゆっくり話せる機会がありました。前回あった時はわたくしがオーガナイザーをしている会だったのでろくろく話しもできませんでしたが、今回は知り合いもあまりいない会だったので、彼の研究も含めていろいろ話せました。O君はわたくしの研究室で大学院生で学位をとりまして、その後英国に来てからずっとこちらにいます。もっぱらスコットランドで、彼のポスドク時代のボスであるGさんは、イングランドに戻ってますが、H(彼の名前のほう)はScottishだよ、といってましたし、よく土地になじんでいるようです。研究テーマもとても彼らしいユニークなものだし、学生やポスドクにも人気があるようだし、今は非常にうまくいってるようです。かれのテーマは英国でこそやれるのでそういう意義があるという感じで、残念ながら日本だったらおちおち続けられないし、できないでしょう。
グローバルCOEとかワールドプレミアムとか、日本はみかけ風袋だけ大きなグラントを出して、ある意味で浮かれてしまっています。しかも論文の引用回数が多いとかNatureとかScienceに論文が出て新聞にでるとか、そういうことももちろん無意味ではありませんが、そのすべて逆のほうにある地味だけれども誰かがやっているのならぜひサポートしたい研究をも大事にするという、伝統的学問観が見失われているようなことはないでしょうか。だいたいこういう行政官とか政治家しかよろこびそうもない名前が出てきたら、つよく反撥する優れた研究者層が無くなってきているようなのが一番心配です。日本にそれほどおおぜいはいないであろう優れた研究者たちがもしも一色に染まってある方向に向かってしまったら、ろくなことが無いのは、政治の世界でも同じでしょう。かつての歴史がそれを証明しています。日本の実情は憂慮すべき状態と見ています。
わたくしも実はきわめて地味な仕事なのに、研究費をもらうために、そうでもないようなふりをして今日までやって来てるのですが、それがなにかのお手本になってしまっていたのなら、非常にまずかったのかなと、思うことがあります。グローバルCOEとかワールドプレミアムなど名前からして行政の一種の暴走で、声に出すのも恥ずかしい、と思うのです。それにうかうかと乗る大学人や当局の犠牲になりかかって(いまだに引っ越しの具体的手順がきまらないのですが)始めて、こういうものの行政の無慈悲さを実感しています。ただ、わたくしの内面での反撥はきわめて強硬なので、逆に自分に残っている強さも実感できてはいます。そう意味で個人的にはポジティブな面もある経験です。