帰国への道、日本の誇り、人類の歴史、ヘレニズム

いま現地時間の朝3時45分です。しかし、日本はもう朝の9時45分ですので、時差をあわせるには今くらいの時間に起きて、行動すればいいでしょう。
午前11時の高速船でこの島を出て、アテネに向かい、夕方の6時ドバイ行きのフライトにのり、ドバイから関空行きにのりつぎ、到着はあしたの夕方ですから長い時間と海、陸、空の道のりです。
もうギリシアにくることはないかもしれませんが、本当にきてよかった、と心から思いました。研究集会が面白かっただけでなく、ギリシアの遺跡とその修復のためのギリシア人の努力をみながら、考えることがとても沢山ありました。

仏教が日本に入るには約千年近くかかってることは前のブログでも触れました。
その頃発祥の地では仏教はたぶんもう流行は沈静化していたのでしょうが、日本はこの仏教をいまにいたるまで1500年以上も維持していました。日本で大切に保存されて来た多くのものは仏教や神道など宗教的なものですが、その多くが庭園や森などと共に「動態保存」されていたのだということに、ギリシアに来て改めて気がつかされました。つまり現にいまも「生きた」状態で使われつつ保存されていたのです。日本の多くのものは石の文化ではないのですから、修復に新しい木や布や畳などを使うのは当たり前のことです。
特に伊勢神宮などは30年のサイクルで同じものが作り直されたきたのです。宗教というものがどういうものでありうるのか、宗教施設なるものがどのようなものでありうるのか、諸国のひとびとは日本に来て驚きとともに沢山のことに気がつかされるでしょう。
この点に、われわれ日本人はみずからどこまで気がついているか、わたくしも自分の胸に手をあてて反省しました。日本の先人が大切に生きたかたちで動態保存してきた、人類的に極めて価値のたかいたくさんの文化的な遺産をわれわれはこれからも大切に保存していく必要があるとおもうのです。日本をおとずれたひとびとはわれわれ以上にそのような価値の高さに気がついているのでしょう。このギリシアの地にきて、はじめて日本の文化的遺産は日本の誇りの筆頭に来るものなのだということがはっきりわかりました。

わたくしは、歴史教育の根本に人類の歴史を教えるのが大切だと思うのです。
特に、最近学説的にも定着しつつある、人類はアフリカで発祥してそれが地球上の全体にひろまったという人類はみな「人類としての共通祖先」をもつという知識を教えることが特に大切でしょう。
それと同時に人類と霊長類が共通祖先を持ち、すべての生物が共通祖先をもつという生物学の根本も教えれば、人々と自然を見るための歴史的な目がはっきり作られるでしょう。

今回の旅行では、なんどもヘレニズムのことを考えました。
人類の歴史でギリシア的な文物が爆発的に流行したことは間違いありません。それはギリシア的なものの現代につながる自由闊達さとその到達度のたかさからも、世界中どこにいっても歓迎されたものがあったのでしょう。日本がまだ「未開」といわれてもしかたのない時期、ギリシアでは、劇場と音楽堂、それに競技場が町の中心に作られていたのです。その頃のギリシア人が来ていた服装がどんなにファッションの先頭をいっていたか、想像するだに明らかです。人間が遊ぶ心、喜ぶ心、愛する心を沢山もってきたことを理解すれば、ギリシアの遺跡がいまのわたくしたちに語りかけるものは沢山あります。
日本に来た頃のヘレニズムは、かなり変形修飾していたのかもしれません。しかし、ギリシア的なものが日本人の心を捉えたことは間違いありません。中央アジアやインド、中国をへてたどり着いて変化したものの中に、ヘレニズムの多神教的でなおかつ人間的な逞しさと優美さの広がりをしめすものに日本人の多くが惹きつけられたに違いありません。
奈良の興福寺にある多くの傑作がヘレニズムの影響をうけたことは一目瞭然です。文化が流行すること、その伝搬能力の高さは、人間が万世一系の共通性をもつことからも理解が容易です。いまも世界はいろいろな流行で動いているのですから。
わたくしは前に日本人で学問をしたいひとはかならず一度は法隆寺をみて、昔の日本人達の学問にかけた情熱を学ぶべきだと、書いたことがあります。
いまは、その古人の情熱はいったいどこから来たのだろう、とこれから考えてみたい、と思うようになりました。たぶんそれは日本の美しい山河がもたらしたものだ、といまは考えています。

日本は西から思想、文物が伝わってきて、それを元に発展隆盛しても、次ぎに伝える「次の国」がありませんでした。でもそれはとても良かったのだと、思うことが最近よくあります。

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