みなとみらい21、嫌いな建物

米国学会に行って帰ってきたK君の話によるCさんがわたくしの英語ブログが完全停止状態になっているのを残念に思っているとのことでした。気にはしていたのです。そろそろ週一回くらいの頻度で再開しようとの心づもりではいるのですが。
きょうは夕方の学会の若手教育ワーキンググループ主催のシンポジウムに参加するので、昼頃の新幹線で横浜までです。あしたの朝に会いたい方がいるので、一泊の予定。
わたくしはこの「みなとみらい21」なる場所が嫌いです。
なぜそんなに嫌いなのか、理由がうまく説明できないのですが。
生理的な嫌悪を感じるのです。桜木町から歩き出してから、この人工的で賑やかな港町の一角が、端から端までいやなのですから、われながら不思議です。
たぶん、その人工的な景色がいやなのでしょう。どれか一つの建物の形が生理的に不快なのかもしれません。そいつが、ずっと見えてるからかもしれません。だいたいどの建物か自分でも見当はついていますが、それを消したら不快感が消えるかどうか分かりません。ただ、このあいだホテルの喫茶室の窓から海面と遠くに見える古い船だけをみていたら、ちょっとましかなとは思えましたから、近視的な景色の中には受けつけられるところもすこしはありそうです。

京都駅の前にある京都タワーは最初からそれほどいやではありませんでした。これを見ると卒倒するくらい嫌いな方を知っていましたが、そのかたもう亡くなりました。たぶん、そのはずです。でも京都タワーは田舎っぽくて貧乏たらしいとは思っていましたが、最近は駅に向かって歩くときの目印に便利なので、そういうことすらも感じなくなりました。
今は河原町御池の京都ホテルが不快で、醜いと感じます。
京都で一つ消滅してもいいという建物を選びなさい、といわれたら、やはりリストの最初に来るかもしれません。あとさしつかえがあって、はっきり言えないのですが、あの2つの高い建物も消えて欲しいと思います。
1971年に京大で働きだしてから、百万遍から今出川を銀閣寺に向かって歩くときは、しばらく決して南を見ないで歩いていました。あの大きな工学部四号館とそれに続く建物群があまりに醜くすぎて、正視出来ない感がありました。
そのことを数年後東欧からきて京大にいたある外国人に話したら、かれもまったく同じ意見で、彼の場合は故国の共産主義体制を同時に思いだすのでますます陰鬱な気分になるのだ、といってました。故国の建物と完全に同じように見えるといってました。それらの建物はこの数年の耐震のための改装工事でみかけずいぶんきれいになって、いまは正視できます。

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