疲弊した地方

孫たちにカルタとかトランプ遊びをちょっとしてみると、こういう遊びの仕組みが思いだされて、やはりゲームというのは頭のトレーニングにいいものだなと、思います。

きょうもまた日吉大社に参詣。娘家族はまだ初詣をすませていませんでしたので。
行き帰りで8000歩以上ありましたので、いい運動でした。気をつけないと、正月後の一週間またまた減量に努力せねばならぬはめになります。

疲弊した地方という言葉が、昨年の後半はずっと聞かされてきました。
わたくしも地方在住なのでしょうが、職場は大都市だし、住居は中都市郊外というふうなので、疲弊した地方ということばがピッタリした場所は周辺にはありません。
ただ、この湖西地帯ではお金を沢山使う人はほとんどいないという印象をもちます。
豪華とか、値段が張るとか、そういう場所が一カ所もありません。
それから、こんなんで大丈夫かなというくらいに閑散とした場所は沢山あります。
比良のロープウエー、近江舞子のホテルなど閑散とした状況が長期続けば、やはり閉鎖してしまいました。この数年間でなくなったものは数え切れないほど、沢山あります。みなある程度の人数が集まるのが前提のものです。例えば、琵琶湖大橋にある巨大な観覧車イーゴスです。逆さまに読んですごい、ですが、すごいことは一度もなくあっという間に閉鎖です。傍に大きなスーパーダイエーの建物が廃墟化しています。

ここら辺では完全な専業農家はほとんどありませんので、みなさんどこかで働いているのでしょう。滋賀県は通過県なので、どこも交通量は多いので、それにともなう工場設置など県内での収入は多く、実感はありませんが、県民収入が全国で4番だか5番ということです。

沖縄のほうも地方とはいえ、特殊な地方なので、いわゆる疲弊した地方といわれている過疎化が進行中の地方県とは相当に異なります。

結局のところ、わたくしが知りうる日本の歴史で地方が都会に対して優位に立ったのは、わずか一度で、それは都会が食糧難に苦しんだ、戦争中と戦後の一時期だけです。
そうは言いながらも、都会で良かった経済状況とが地方に波及循環したので、地方の豊かさは都会からの循環でたもたていたのに違いありません。
その循環がここに至って断ち切られたのが地方の疲弊の最大原因なのでしょうか。
良く言われる郊外型ショッピングセンターでの儲けはみな都会に戻ってしまいます。
地方では地方資本でで出来ることがほとんどなくなってきていると言われています。
地方にいっても、聞いたことのある都会資本の店屋が多くなっているので、そこではらったお金はみな地方から都会に循環していってしまいます。

地方の人達はそのような都会資本に安く雇われて、都合良く働かされているだけかもしれません。地方のお金が都会にいってしまい、一方で地方の人は都会資本に搾取されている、このあたりが多くの地方人が感じる「実情」でしょう。
そういう都会地方格差を誰が作ったのか、いまその検証が行われていて、だいたい犯人像ははっきりしてきたようなのですね。

地方の疲弊を直すには、結局のところ地方の中でお金を循環させる必要があります。
分かりやすく言えば、地方にもある程度の数の地方在住の新しいお金持ちを作る必要があるのだと思います。
話を分かりやすくしようとすれば、結局そういうことになると思います。
才能ある地方人が出てこないといけません。東国原知事がいぜん90%の支持を得ているのは、都会から地方への流れを作ろうとしているからだとおもいます。

追記 書いた後で気がついたのですが、赤福、ミートホープ、白い恋人は地方資本ですが、派遣とか臨時雇用とか仕事はきついのに常勤者と比べれば異常なほど安い賃銀で働かせる雇用層を生みだして、そういう劣悪かつ対立的な労働環境を作ったので内部告発が頻発しているのでしょうから、地方での金持ちが腐敗しだしているのも問題なのかもしれません。このままでは質素に変わらない人生を送れる場所が日本からなくなるのかもしれません。

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