小学校教員採用の汚職事件、悪い外国人

きょうも沖縄です。炎暑のなか歩きました。いまみたら、9300歩でした。立派でした。帽子よりも傘のほうが役にたちました。

聞きたくない話しですが、やはり出てきました。公立小学校教員は聖職などとはわたくしはまったくおもいませんが、しかし公務員です。半数近くが縁故採用で、「上層部」(誰のことでしょう、国会議員、知事??)の指示で100点くらい加算して合格していたとか、倍率がはんぱじゃなく高いのにそういう不正が白昼堂々おこなわれていた、ということにあきれます。しかし、そのあきれるようなことが人を指導して組織のトップに立つ人が長年やって来ている。
大分県だけではなく、日本中でやってるにちがいありません。たぶん、明治以来かもしれません。
教員の子供は教員をしても親をみてるから、ちゃんとやりますよ、という国会議員の二世三世と同じような理屈なのでしょう。でも国会議員選出にはは投票不正はありません、この学校の先生達は縁故者の子供の点を水増しですから、おそろしくたちが悪い。
でもこれがほんとうに日本中に蔓延しているのだったら日本の道徳の優位性などは木っ端みじんに吹っ飛んでしまいますね。
どこまで解明できるか、出来るだけやって欲しいです。

わるい外国人といっても悪人という意味ではまったくありません。
よくない外国人といいかえてもいいでしょう。
まずその国の言葉をおぼえようとしない。
半年くらいならしかたないとして、何年もいてさっぱり憶えようとしない。
うちわの外国人同士で、住んでる国の悪口をいいあって盛り上がる。
いいたくなるのはよく分かるのですが、でも悪口のなかにユーモアかなにか味がないと。自分が優位にたったかんじでの悪口は最悪。
外国暮らしが容易でないことはどこでもおなじ、おあいこです。
その国のひとたちに共感を感じようとしない。言葉もわからず、住む国の人たちがどういう気持で日々暮らしているか、興味がないのも困りものです。
住む国の文化、歴史、伝統に興味がない。それでいながら、母国か母国文化を外国までにもってこようとする。
そのうえ、外国ですんでることの経済的基盤をわすれて、その国で食べさせてもらっている、ごくまっとうな感謝の念がない、これが愚かな優越心と並んで最悪かもしれません。
最近ある経験から感じたことです。

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