ことしは慌ただしくて、12月8日の日本の開戦記念日になにも書きませんでした。
でも年をとるにつれてますますこの日を、日本のもっとも大切な日に、つまり沈思と反省の日とすべきとの思いが募ります。天皇陛下がカナダからの帰国時に、真珠湾を訪問されるかもしれない、ということを何かで読んだような気もしたのでしたが。
日本という国が、国家の存亡のかかる戦争を決断するにあたって戦争指導者が敗戦時の可能性をなにも考えずにはじめ、とうとう敗戦の数週間前までなにも決められずにいたことはいまも最も大切で重い教訓のはずです。日本は国家として続いているようですが、敗戦への過程でたくさんの日本にとって最も大切なもの、国柄を決定したものを失ってしまったようです。
敗戦後、米軍の占領政策が何年も続き、その後の世相は、いっときの経済繁栄はあったかもしれないが、いまはそれもむなしいと多くの国民は感じているはずです。代謝病のようにいまや戦後のゆるんだ日本社会がなるべき沢山の病にいまなっている、とわたくしは思っています。いっときの先進国意識が生みだした社会病でしょう。社会が内向きになるのは必然的なのかもしれません。
団塊の世代が定年で唯々諾々と仕事をやめてしまうというのは予想外でした。でも、この現象が日本のいまの状況を如実に現しています。定年になった第一次ベビーブーマーの世代から組織のくびきを離れて、どんなに小さくてもいいから、新しい産業や事業を興そうという独立の気運が澎湃として沸き立ってくるとわたくしはかすかに思っていたのですが。そんな気力はまったく無かったのでした。もちろん、さがせば「沢山の例外」があるでしょうが。ただ、女性の一部にはそういう例外ずっと多くいるようなのが嬉しい面ではあるのですが。わたくしは団塊より5、6年程度年寄りですが、でもいまでも新事業をおこしたい、としばしば思います。仕事を続けていたらだれでもが思うはずです。
今朝の政治テレビ番組を見ていますと誰もはっきり言いませんでしたが、近日中に首相が辺野古への移転を否定し、あらたな普天間対策についての声明をだすだろう、ということのようです。
言い方次第で内閣支持率はさがらない、上がるかもしれない、のでしょう。