関西空港に来ています。あと20分くらいでゲートに向かいます。
きのうの続きでいうと、一般のかたはなんでわたくしがいまのような政府の安全説明に怒っているのか分からないかもしれません。
要するに、いっぱひとからげで皆おなじなのだという説明はこのような多数の遺伝子がかかわるDNA損傷修復にはほんとうに良くない、ひとりずつ異なる、ここがおさえられているかどうかなのです。有名な政治家の甥っ子さんが一気のみの強制で死んだ時にこのひとはほんとうに悲しんでこのようなことが二度と起こらないように願っていると述べた記憶があります。自分ではどこまで分かっていたか、おまえも俺たちも同じだ,だからこの酒を飲め、飲めなきやおまえは仲間じゃない,こういう類の考えは捨ててもらいたいのです。環境にあるDNAの変異原にわれわれがどの程度感受性かは、ウイルス感染など後天的にも変化しえます。
日焼けの回復が人より遅く感じたりするひとは気をつける必要があります。しかし日光に含まれる紫外線と核燃料が生みだす放射線の効果はかなり異なります。γ線は二本鎖DNAを破断するといわれますがそれで割り切れるわけではありません。体内に入ってしまった放射能は何をするか、予測はできません。大規模な被爆は広島、長崎とチェルノブイリくらいしか人類は体験していません。たしかに原爆によってあたらしい遺伝病が誘発されたという知見は知られていません。しかし、残留した放射能でその後20年30年たってから白血病になった時に、それが原爆と無関係と言えるのか、そういうケースは枚挙にいとまがありません。
少数の人々の被害はなかなか表にでません。
わたくしがよく話題にだすアスベストの中皮腫で亡くなる方は確実に20万人を越えているのです。その数は、日本人の自殺者の7年分の合計ですが、このような大きな数になっても日本の社会は少数者の死としてなかなか動きません。
ひとりずつ皆異なるということは、遺伝子が3万もあり、さらにまだまだ機能未知のRNAなどがたくさん発見されるのですから、当たり前のことなのですが、なかなかそのあたりが自明の常識にならないのがわたくしには残念なのです。
ひとりずつ皆違うので、誰もが多数派でありうるし、少数派でもある。そういう目でみれば、放射線被曝についても深度の深い考え方に近づけるとおもうのです。
恐がりすぎもいけないでしょう
しかし今の日本はかつては放射能を恐がりすぎる国民として折々に笑われるくらいだったのに、まだ原発の水素爆発から一ヶ月もたたないうちに世界でいちばんゆるい感覚の国民と周辺国から言われるようになっていしまったのです。いまここで述べた少数者の尊重の根本感覚が欠落していると無関係でしょうか。
日本人は皆同じとか。オールジャパンとか何を言ってるのだと、わたくしは感じています。
少数者が声を出すときです。
日本人が皆同じ、皆同じと呪文のように唱えて、とんでもない方向に向かわないことを憂えています。杞憂だといいのですが。