朝日経を娘が妻に要望してコンビニで買ってきたのを夕食前に読みました。
五木寛之氏の話をまとめた記事、読み応えがありました。
題して山河破れて国あり、公に不信、亀裂は深刻、8.15からのまなざしと見出しにありました。
司馬遼太郎氏亡くなり、山本七平氏も、そして河合隼雄氏もこの世を去り、つらい事実を受けとめこれからどうするか、視点を提供する人々は希有になってしまいました。五木寛之氏もう80才近い、でもフレッシュな見方を提供してくれる、その希有な人です。
わたくしも国破れて山河あり、と似たようなことは言えても、山河破れて国あり、という風に言えませんでした。
氏はこういう。
なによりも悲劇なのは汚染が目に見えないことだ。依然として山は緑で海は青い。見た目は美しくて平和でも内部で恐ろしい事態が進行している。平和に草をはんでいる牛さえも内部汚染が進んでいるかもしれない。かつてこんな時代は無かった。氏はこのようにして今の時代を描写しています。
そこで氏は政府の言うことを信じた五木氏の父と母、そして氏におきた戦後の悲劇、朝鮮での家族の悲劇を静かに語る。氏の原点でもあり、氏を日本人として希有の人にした体験を。
そして氏は、これからの日本人は放射能と共存していかざるをえないことを説得力をもって伝えようとしています。激しいいい方でなく、静かな説得です。
たとえ原発をすべて廃止しても使用済み燃料を他国に押しつけるわけにはいかない、放射能を帯びた夏の海で泳ぎ、放射能がしみた草原で家族とキャンプする。その影響は専門家でも意見が大きくことなり判断がつかない。
氏はそこで政府の情報や数値や統計ではなく、自分の動物的な感覚を信じるしかないといっています。
未来への希望が語れないとすれば、「きょう一日、きょう一日」と生きていかていくしかない。
まさに少年の氏が戦後8月15日を経た日々に生きた時のことを語っているようにみえます。
しかし氏は第一の敗戦の時はまだまだ明日が見えた。しかし今は明日が見えない、だから今この瞬間を大切に生きる。国は私たちを最後まで守ってはくれない。といいます。
深い歴史観をゆうする五木氏は今の時代を過去にさかのぼってどこかの時代に重ねあわせているように見えます。しかし、今の日本は山河破れても国がある、その国をどうするのだと、われわれにあいくちを突きつけているとも言えます。
深い憂慮の念をもちつつ今日いちにちをこれからしばらく生きていきましょうと、仲間の日本の人々に話しかけています。
台風9号どんどんちかずいていますが、でも時速10キロとか、ゆっくりしたものです。明日の昼頃から風雨がつよくなるのでしょう。