首相の国連演説、児玉教授の活動と発言、原発タブーその2

首相は国連に出かけて演説をするそうですので諸国のひとびとに今回の原発事故について率直なお詫びの言葉を述べてほしいものです。お詫びをしてしすぎることはないでしょう。震災と津波の被害については世界のひとびとが心から同情してくれてることです。相殺が出来るとはおもえないのですが、不可抗力のできごとではなく、人災であり、こんご日本政府が原発をどのように位置づけるか世界の人々が注目しているので、ぜひ明解な判断もしめしてほしいと願います。

東大の児玉教授の献身的な被害地での活動や、氏が全身全霊で国会や東電や政府の対応について、怒りの言葉をのべたことは嬉しいことに大きな影響があったようです。科学者個人がこれだけの大きな影響を社会に与えたことは久しぶりです。氏はかけがえのない存在でもあり、お体を大切に長く活動して欲しいと思っています。

昨日の続きですが、原発タブーのなかに[怒り」と[反目」があってこれはなかなかまともなかたちで社会が取り上げにくいものです。
怒りは何に向かってか誰に向かってか、これを間違えると怒りを持った人間が苦しむことになります。
反目も同様で、反目すべきでない人々が反目すると長いこと修復が困難となります。
しかし、原発事故のあとで多くの人々が苦しみ、ほんにん達もその周辺も、深い怒りを持ち出していることは確かです。しかし、その怒りはまだ漠然としたものであり、はっきりしないのです。
怒りの焦点があわない最大の原因は、今回のこれだけの巨大な原発事故にたいして、日本の[司法機関]がまったく動く気配がないことです。
司法の対象にならないということは、不法行為はまったくないということになるわけですから、怒りをもっても司法の場で裁かれることはなにもないということになります。それはおかしいのではないかと思う人達はすこしずつ増えているようですが、でもどのようなものが司法の場で裁かれるのか、まだ定かでないのです。それで原発が爆発するまでの経過の詳細な事実が大切なのですが、この部分はいまブラックボックスのように不明なことが多すぎるのです。

反目の素地はあります。原発をそもそも導入した地元と周辺市町村では事故前も事故後も考え方に大きな差があることは歴然としています。しかし、この差をくわしく検証したことは社会的にまだないでしょう。
たとえば、福井県で原発が同様な事故になっても、琵琶湖を抱える滋賀県は原発市町村ではないので地元の意見を関西電力に伝えることがこれまで出来なかったのでした。原発は100%安全だったので極めて近傍の市町村以外に関係地元はなかったのでした。しかし、今回事故後原発から100キロどこらか数百キロはなれていても被害が甚大になりうることがよく漁業や農業などで明白に分かってきました。
そもそも東電は東京人のための会社です。福島県人が東京人に対する怨嗟の念が強くなって誰が責められるでしょうか。
反目は地域間でのものとして拡がる可能性があります。このあたりもタブーになる原因なのでしょう。なるべくなら、そうなるべきではないでしょう。しかし、いつかどこかで顕在化する可能性はあります。

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