今日午前中が最終日、あしたはスイスのほうへ移動します。
ほとんどのセッションに座っていました。みんな真面目に聞いたとは言えませんが、でも発表者の顔や雰囲気や発表の内容などは会場にいないとわかりません。
この400人か500人のひとたち、世界中から来ています。どの発表を聞いてもポスターを見ても、すべて水準以上の研究です。
この分裂酵母を材料にした研究はごくごく少数の研究者により始められ、ここまでしっかりと耕されてきたのです。まだ荒れ地や開拓されてない部分は沢山ありますが、美しい花園と田園のような世界がここにあるのです。
素晴らしいことです。だれかの手柄でなく、みんなが努力してきてこのような美しい世界が半世紀後に出来たのです。
しかし、発表者が内容の高い発表したあとで個人的に話して、それで今後の研究を聞けば大抵のひとびとは直ちに暗い話題を提供します。
大半は今後の研究が続行出来るかわからないというのです。米国が特にきびしく、欧州もそれほどではないにしろ、厳しい。日本ももちろん厳しい、ただ日本人は厳しくなってもあまり声をあげない傾向があります、しかし今は誰もが厳しい,といいます。
どう厳しいのか、それはこの世界ではtranslational researchといって、役に立つ研究、基礎研究の成果を社会に説明出来る還元できる研究をしなければ、研究費はもう出さない、という類の厳しさです。
そこで、どう社会に役立つ研究をするのか、はっきり提示しないと研究費どころか職を失う。これが多くのこの花園と田園の居住者の直面している問題なのです。
わたくしのように大学定年を経験してきたものには、おどろくことはなく、このブログでも書きましたように、二刀流でいかざるをえないし、そうしなければならないでしょう。
それで会期中に同じ事を何度もあちこちで力説しました。
生命科学はもはや基礎だから役に立たなくていい、それに専念してればいい、という議論は成りたたないのです。
この美しい田園と花園には、自前で稼いでこの土地を守っていく必要があるのです。そのためには住んでいる区域に小工場や商店やレストランやオフィスが必要になってきたのです。人の訪問が増えなくてはいけません、お金の流れの入りも出ももっと活発にする必要があります。
そのための努力はわたくしなりにもう本当に10年近くやって来たつもりです。
その一部の成果はごくごく一部ですが、こんどの学会でも発表しました。
反響はありました。はっきり。
そう、美しい花園と田園を守るためにはこの類い希な微生物をもっともっと活用しなければいけません。そのために、荒れ地やまったく未開拓な土地を耕してなにか価値のあるものを生みだしていかねばなりません。
わたくしに残された時間があるとすれば、そういう方向での二刀流をますます発展したいと思っているのです。
しかしながらわたくしにとっての障害はあります。
はっきりわかっているのですが、それを指摘するのは差し障りがあります。わたくしが目障りでたまらないという人々は国内外に、近傍にも遠くにも、自分で思う以上に多いというのは充分知っています。
まあしかし、人生そんなもんでしょう。
それと、このコミュニティで育ってきたはずの、若手のボスが案外あいも変わらない古典的な愚かなボスになるケースが多いことです。住む人々がある程度以上の数になればしかたないのかもしれません。どこの社会もそうでしょう。このコミュニティ、いま50年前に開拓が始まって以来の危機にあるようにもみえます。危機こそがチャンスとも言えるのでしょうが、でも危機によってこの美しい世界が消える可能性もあるのです。
まあ、なんとか問題は、ひとつひとつ克服出来るはずなのですが。
昔の開拓者の気持ちに戻れば。でも、悲観と楽観正直半々です。