通り魔犯人の弟、痛ましい漁船の転覆、医師を増やす政策

今朝は関空から沖縄です。JR西また20分の遅れ。

長いこと買ったことのない週刊誌を買いました。通り魔殺人の犯人の弟がどのような家族であったかを述べる、独占手記というのがあったからです。でも、よんでなにか腑に落ちるような感はまったくありませんでした。ただ、かなり特異な母親であったことだけは確かなようです。しかし、このような殺人を起こす原因とは思えませんでした。

漁船が転覆して13人の不明と4人の死者という痛ましい出来事。このあいだの大地震で亡くなったり、行方不明になった人たちと数があまりちがいません。
これがもしも、油の高騰で港に戻れず漁場で長期滞在せざるをえないことから起きた荒天下の事故なら、ほとんど人災でも言えるものです。ほんとに痛ましいことです。

医師が足りないという。それで医師を増やすというのが政府の重点施策になったようです。しかし、増やすといったって、だれもが知ってるように来年から増やすというのは無理で早くても6,7年はかかるし、経験豊かな医師を増やすのなら、もっとかかるでしょう。
不思議なことに医師が足りない、だから増やすといっても、大学の教育サイドからはさっぱり意見が出てきません。それでなくとも、いまの医学教育医師養成は問題山積だし、大学医学部付属病院が苦境におちいっていることは周知のはずなのに、ただ増やすというかけ声だけが聞こえるだけで、これからどうするという声が聞こえてきません。
コンピュータやインターネットの発達のおかげで能率が上がって余暇が増えるかと思ったら前より忙しくなっているのが大学や教育の現場です。研究の現場では、医療改革でよくなるはずだったのに、研究に関心をもつ医師が減ってきて、方便としての研究は増大しても、大学医学部での基礎的な研究は最近とみに勢いが失われてきています。
大学の独立法人化によって、個々の教員の忙しさは一段と増して、かれらの余裕のない生活ぶりは、深刻の度を増しています。
なんでこんな事になってしまったのか、それがおおかたには分からないので、強い意見が出て来ないのですね。
わたくしはこうなるのはすこし考えれば、分かっていたと思うのです。生活がデジタル化する前からずっと日本社会にはびこっていた考えが社会の上澄み部分にいる多くの職業人のあいだに蔓延してしまったのです。

余暇がなくても収入が多い方がいい。
余暇がたっぷりあっても収入がかつかつではいやだ。

これが右肩あがりに増えてきた、日本人のとくに最近勝ち組とかいわれる人々のあいだに多い、基本的な「幸福観」なのではないでしょうか。実際には負け組のあいだにも多いから、そういう場合には、苦しいだけの人生になってしまいます。
医師という職業、もうむしろ身分といってもいいようなものは、この考えの典型的なケースになりがちです。本人がどうおもうと、医師のベルトコンベアに乗ってしまえば、逃れようもなく、忙しい、でも外車を買うくらいの収入は保証されます。
わたくしが高校生の頃ですから50年前ですか、同級生の父親が開業医で、わたくしは周辺に医師の親戚がいなかったので、どういう感じなのか、とこの級友に聞くと、家族は経済的にとてもいいけれど、本人は暇なしで働いているだけ、と真顔で言われて妙に感心した記憶があります。

これに最近では、もう一つ加わった条件があります。それは安全志向です。人から訴えられたり、非難されるような職業は嫌だ、というものです。医師でいえば、医療訴訟になりがちな分野は敬遠されるし、医師がただひとりでありとあらゆる病気にたちむかうような状況を避けることになります。

このような考えが蔓延しているかぎり、医師の絶対数をどんなに増やしても、収入の多いところ、危険のすくないところに、医師は集中してしまって、せっかくの施策も成功しないのではないでしょうか。
だいたい年間平均収入が300万くらいの地域に、医師確保のために年収3千万を保証したとして、そこにやってきた医師が、地域の平均から遊離した身分のような人間として、屈託なく楽しい人生をそもそも送れるのでしょうか。

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