秋来る、カタカナ問題

今朝はとても涼しく、いよいよ秋来るとおもいました。

最近海外の研究室との共同研究がうまくいっています。論文として公表されているものはまだありませんが、投稿中のものがふたつとかその前の段階のものも2つ3つあってなかなかいいものです。前にも書いたように、実際にデータをだしたものしか共同研究とはみていません。

まえに沖縄にいたSさんがいまは日本の国語問題をやっているようでして、なにかのメールの交換時にそのあたりの話を知らせてもらったことがあります。
このグローバル化の時代、日本の言葉の壁は本当にたいへんで、いっぽうで伝統もまもらないといけないし、国語問題は日本の文化の根底にあり、また一方で日本の将来を規定するともおもいます。
わたくしはカタカナは便利ですが、日本人が外国語を覚える上での相当な障害になっている面もあるとおもいます。また外国人もカタカナが非常に難しいといいます。
LとR、BとVなどのの区別をしないカタカナの問題はおいといても、外国語の語感を分からずに使う弊害も深刻とおもいます。グローバル化といわずして地球化というとたぶん日本人はしらけるので、語感がとらえにくいカタカナで問題を直視しないですませる、そういう面もあるようにおもいます。
都合のわるいことはカタカナで意味をぼやかしてすませる、明治以来の日本人の悪癖かなともおもいます。しかし、いっぽうでよく分からないことから来る居心地の良さもあるのでしょう。民宿というとしらける人がペンションといえば興味をしめす、そんな面もありますし。
カタカナをなんとかもうすこし外国人の発音にちかいものに変えるのは意味がないでしょうか。中国人の人の名前、アルファベットをみても誰だかさっぱりわからない習慣もなんとかならないか、とおもいます。

きょうはバイテク関係の研究をしているTさんの来訪がありました。なかなか面白い話をたくさん聞かせてもらいました。

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