堅い話なので、興味を持つ人以外読まれなくて結構です。
このブログの読者ならわたくしが研究者がひとりしっかり育つには20年くらいかかると、思ってることはご承知でしょう。
わたくしもいまはこんなにえらそうに色々言っていますが、20代の最後の年の頃には、研究者としてやっていけるのかどうか真剣に悩んだような記憶があります。その頃のわたくしといまのわたくしは、体重はほとんど変わりませんが、かなり違うのは食べているものがまずいものばかりでした。Johns Hopkinsのキャンパスの傍のCharles 40th街だかにあった食堂で毎日ハンバーグとかサンドイッチとかそんなもので晩飯をすませたり、アパートに戻って簡単な食事をしたりで、いまでもわたくしが決して米国製ケチャップやマヨネーズに手を出さない、というのもそういう体験からですが、こんな世界最高の科学の国でもこんなまずい食い物ばかりでは、研究者稼業を続けるのは困難という、類の低次元のしかし深刻な悩みに浸っていたものでした。
ただ、もう自負心ばかりが強くて、自分が故国に帰ればきっと素晴らしい業績をあげるにちがいない、とまあホラか信念か分からない、気持でいました。しかし、そんなことを言いながら、その頃にやったセミナーでは、終わった後で、高名な初老の研究所長さんにあなたのやっているのは大変立派だがそんなことやっても米国では研究費はとりにくいし、もっと社会的に認知される医学的なテーマをやれば素晴らしい職を米国で得られるよ、といわれたのに、その賢い忠告に一顧もしませんでした。
そんなわたくしを京大は拾ってくれて、そのあとさらに6年近くその時代遅れのというか役たたずの研究テーマですこしの予算を使いながら、面白おかしくやらせてくれた文部科学省(わたくしは京大の助教授、つまり国家公務員でした)心から、感謝したいわけです。
わたくしの科学技術政策というのは、結局日本の大学で禄をはむようになったこの原体験が元にあるのです。
ひとことで言えば、当時のわたくしのような若手(30才でした)研究者を「適当に」サポートするような制度であってほしい、こういうことです。結局、自己肯定からくる意見なのです。
サポートというと、基本的には給料を払ってくれると言うことです。それも来年クビになるかもしれないでなくて、まあ5、6年程度は保証して欲しい、まずこれでしょう。次がわずかでもいいから研究費を与えてほしい、年間100万円程度でもいい、これに国内外の学会に年間一回ずつ参加出来るために20万円とか30万円あればいい、こんなところでしょうか。
若手の研究者の特徴はまだどう化けるかどうか分からない時期でもあるのです、若手の研究者も時代の子です。自分の将来を真剣に考えればおのずと、みずから勉強もし予備調査もし、実地に試しても見てから、人生を決める研究テーマに向かっていくでしょう。
生命科学のように研究者として最高の仕事を40代や50代、場合によってはDNAが遺伝子であることを証明したエブリー博士のように60代を越してからやるかもしれないのです。
広く、浅くお金をばらまく、つまり若手研究者を出来るだけ広くサポートすることが大切、こういいたいのです。つまり「自助」にまかせることです。時期がきて箸にも棒にもかからないという評価ならクビがつながらないのですから、まあこれでいいじゃないですか。
金と身分を与える胴元は彼等が何をするのか「ほったらかし」がいいのです。
ただ、時がたったら、丹念にひとりずつ調査して、評価をすることそして当人には評価をされることに深い意義があるでしょう。
第一回目はこういうところです。