ゼロ年代の最後の日に考える

2009年の大晦日,ゼロ年代の最後の日、です。
個人的には感懐は相当あります。
この10年間、前半はまだ大学教員として現役でした。2000年の年に発表した論文を見ても本当に一昔前となりました。大学院生やポスドクだった人達がラボを主宰したり教授になっています。
2001年はテロの年でもありましたが、また細胞周期にノーベル賞がでた年でもあり,忘れがたい年です。
後半は大学を辞めて、でもラボを主宰するという変則的なものでした。また沖縄でのパートタイマーの研究主宰にも熱が入ってきて、現役の時よりずっと働いているという実感があります。
研究には若い頃から一心不乱に打ち込んできたつもりですが,それでも大学教員を辞めてからのほうがずっと研究へのうちこみかたが厳しくなったというか激しくなった感があります。
からだがこれで持つのかな,と時折かんずることもあります。
でもまあ好きでやってることですから。

そして世の中というか、日本の立ち位置が随分変わってきたように感じます。
80年代のバブルの時もわたくしは研究に没頭していたので,世の中での経済バブルとか財テクとかまったく頭に入りませんでした。それですから,突然日本は富んだ国だ,世界で一番リッチな国だとか言われても、言ってる相手の頭がおかしいのではないか,と思ったものでした。
あの頃わたくしたち研究者は給与的にも研究費的にもまだまだ非常に貧しく、アメリカの研究生活がまぶしく見えたものです。だからその頃の日本が世界一お金があったとかいうお話なぞ、信じられなかったものです。というか、いまでも信じるのは困難です。
それでいまや,長期の不況と政治の弱さから、国家として困難に直面している。
普通の独立国ではない日本が鮮明に見えてきており、日本のありとあらゆる分野でリーダー格の人たちが払底しているようにも見えます。
しかし、政権交代でいろいろな政治家がでてきたように、社会の土台が変われば,つまり政治が変われば,これまで黙っていた人達,政治の力にはまったく縁がなかった人達,そういう人達が社会の前面にでてくるのではないか、というかそうであってほしいものです。
いまの日本人は昔みたいに働かないかわりに判断力は随分増してきて、大人の判断をする人が非常に増えているようです。2010年以降、案ずるよりは生むがやすし、ではありませんが、いい結果がでると期待したいです。

分子生物学会も、研究倫理について関心を持つ人は一昔前にはほとんどいませんでした。しかし今では,意識の高い人達が急速に増えています。
なぜかと言えば,この分野でもっとも高い業績をあげたひとたちが積極的に沢山のあらたな活動を始めたからです。本当にたのもしい限りです。
これに続く,さらに若い世代が関心をもってくれるに違いありません。
研究倫理など、研究費の足しになるわけでもありません。またすぐにはほめられるような活動でもありません。しかし,実は研究の一番の足腰の強さに直結するものです。
研究成果が上がるためには,研究倫理にたいしてオープンで議論しすっきりした姿勢で臨めるのが,一番だとわたくしは思っています。研究をするうえでの「空気」と「水」に相当するのでしょう。倫理ですから,やってはいけないやってもいい,というのは時代や場所(国)によって異なるのは当たり前です。でも関心を持たなくてはいけません。
ワトソンとクリックとフランクリンの研究をどう考えるか、答えのでない議論になることに気がつくためには、いちど「倫理」をしっかり考える必要があるのです。
そして,自分はこれら三人の異なった立ち位置のどれに共感を感じるか、それを考えるのもいいでしょう。

これから一足はやくやってきた次男と妻と三人で自宅で年越しのそばを食べます。

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