朝、警察署に行って免許証の更新。優良運転者なのは当たり前、更新するのみで運転しないのだから。我が家では運転好きの妻が車を事実上所有してる。しかし、最近「あなたももういい加減運転再開したらどうか」などと、言い出されてる。妻が東京に行って娘の手伝い、孫達を世話にいった時に、わたくしは長期放っておかれるので、その間空いた車を使えという意味。わたくしとしては今更という気持ちが強いが、また始めるかという気分も少しある。しかし、危ないというのがまあ正しい判断か。30分の優良運転者の講習会を聞く。わたくしのようなペーパードライバーも居るのだろうが、参加者のみなさん、確かに優良ムード。
昨日は研究室のメンバーとの研究上の話し合いや、多数の父兄(7人)と会ったので、今日は溜まった仕事を処理。それに研究面ではいくつかのデータを今後どう検証するか色々考える必要がある。
さて今日でこの表題の話題も終わりにしたいので先を急ごう。
わたくしは4月1日から、K大で非常勤研究員となることは昨日述べた。一研究員とはいえ、大型の染色体継承メカニズム研究プロジェクトの代表なので、運営責任があり、重責である。ポスドク、テクニシャン、秘書さん達の生活も守らなくてはならない。
それでは大学院生はどうなるか。彼等の生活面でのサポートもこれまでは、この研究費で行ってきた。彼等院生達は4月1日以降も同じ場所で研究するのだが、指導教員は全員変わる。わたくしは、大学の教育組織に入らないし、教員でもない。大学の規則としては指導をする資格がない。それでNY助教授の指導下の大学院生ということになった。NY助教授はこれまで長年わたくしと同じ講座の同じ分野に居たが、今後も同様に居続けるので、形式的には学生は今までの分野に居て、わたくしがそこから居なくなるという構図になる。これまでわたくしがいた分野部門は5月頃、オープンされる新築の建物に入る。この一時的に出来る、わたくしが4月から所属する分野は分子継承学と名前を付けた。ややこしくて分かりにくいでしょう。
これまでの研究室は通称「構造研」と呼んでいた。わたくしが最初に担当した講座名が生体高分子構造学といったからである。この構造研もこの3月31日で解散する。4月1日からは「自主構造研」と呼ぶことに決めた。研究室ホームページ(http://kozo.lif.kyoto-u.ac.jp/)に挨拶文を載せている。学生さんの自主性が高くなる期待を込めている。
わたくしは自分でいうと自慢げだが学生を育てるというか彼等に一定の能力を付与する点で、世界中のどの教授にも負けない力量を有していると、自他共に認めていたのだが、その様な能力は定年になれば日本国内ではまったくのマーケット価値がないことに気がついた。そのうち触れるであろう他の研究機関への就職活動でもみなさんわたくしのその様な能力に言及どころか、利用する気が全くないことに気がついた。世の中、「教育、教育」と叫んでるけれども、教育能力のほうの差別化については鈍感なのか本当は必要性をかんじてないか、ですね。
こういう研究室体制になったので、これから一年間は確かに研究は出来る。しかし、来年以降はどうなるのか。
次年度中にでも新たな研究費が獲得できるといいのだが。昨年、早めにどこかに申請したかったのだが、大型研究費申請資格はわたくしにはなかった。ルール的には今の研究費に専念しなさいということであった。
次年度は、まず申請資格があるのかどうか確認する必要がある。もしも科研費にこの10月に申請しても、来年の7月頃にならないと大型のグラントは審査結果がわからない。非常に困るが、しかたがない。
それで、来年4月から7月まで、いったん研究室を閉めて、運が良ければ再開するという可能性が現実味を帯びてきている(しかもそれを許してくれる研究機関を探さねばならない)。そうなったら、わたくしの競争相手は祝杯を挙げるのかそれとも同情のメールが送られて来るのか。興味深い。
なるべくなら、そうなりたくないのだが、そうなった場合の「危機管理」も今から考えている。この間、JST等の戦略研究にも可能なら申請したいのだが、染色体分配メカニズムのような基礎生命科学の分野は今の日本の「重点、重点」のかけ声にはまったくそぐわないので、応募自体が難しい。本当は「がん研究」の中道を行くような研究のはずなのだが、がんの研究費はもう既にきっちり陣容が定まっていて、そこに入ることはまず無理。つい先日、生物物理系の戦略総括の某大先生にもわたくしの研究分野は申請可能か聞いてみたが、平たくいえば「無理でしょうね」という返事をもらった。
そういうわけで、わたくしのこれからの一年半は研究費獲得の為に、労力と神経をすり減らすことになる。研究成果の論文を書きながらだから、心身共に相当大変です。
実はこのブログを始める最大の動機は、この過程のわたくしの考えと心の動きを同時進行的に日記的に書き続けて公開していきたいと思ったのである。研究関係の人にはかなり面白いドラマになる可能性があります。
同情はまったくいりませんが、わたくしが何を考えどう努力してるか、世間の不特定多数の人々に知って欲しい、そういう気持ちなのです。
明日は明日の風が吹く、とうそぶいていた30代の頃が懐かしい。