ネットの世界で、野田外交を賞めているひとはどこにもいないようです。みなさんくそみそです。わたくしの目は節穴かもしれないが、まあいいです。わたくしには、なんとなく野田「自主」外交がかすかに感じられるのです。首相の発言を誤訳した、米国に日本側が訂正を申し込んだというのもいいじゃないですか。官僚が元気なのかな。
それより渡辺、清武の争いがおもしろいというか、へえーまさか、という二人なので面白い。詳しくは記事を読んでませんが、清武氏は、堪忍袋が破裂した、爺さんもういい加減に引っ込め、あんたのいいってることはむちゃくちゃ、こうでしょう。しかし、スポーツ紙のみだしは、清武自爆テロ、清武クーデターとあんまり清武氏が安心できないものです。
案のじょう、渡辺氏が85才とは思えない元気さで、闘志満々、一見理路整然と、かつ激しく反駁した文章を発表しました。ご自身の書いたものと見受けました。わたくしも見習いたい。
ただ、清武氏のいうとおりすべてが真実の文章ではないようです。
結局、渡辺氏からみれば、クライマックスなんとかで負けたのはおまえの責任、目をかけてやったのに、見込みのないやつだ、だからいってきた事を認めなかったのだ、クライマックスなんとかで勝ってればいうとおりにしてやったのに、こう言うところでしょう。紙には書いてありませんが。
世間もそのあたり分かっていて、清武氏が最初に記者会見したのは文科省で、何故?、それに大泣きしたのも含めて、芝居がかった事をするけれども内容はあまりない、こう言うところでしょう。
でもなんとなく、殺しあいでなく、職にはどちらもとどまるらしいので、根本的には怒りはあっても、殺しあいのような憎悪はないですね。
それにひき替え、大阪市長選での言葉のやりとり、とくに一見温厚そうな現市長のもののいい方はひどく残忍な感じなので、このひとは負ける、と率直におもいました。
それに対して、読売渡辺爺やは人情味があって、負けないな、と思いました。
清武氏ももういちど雑巾がけからやりなおせば、まだチャンスはあるのでしょう。