いまちょっと前に自宅(大津)に戻りました。
岡崎と言うよりは、粟田口というのかな、の古くからの料亭での祝賀会でした。
非常に楽しかったです。さすがは構造研メンバー!、といいたくなります。多士済々、わたくしの誇りでもあります。
皆さんの話で、35年前とか25年前の出来事が目の前の出来事のように思いおこされて、頭脳の活性化が起きたぞ、という感覚ももちました。
特に最初の石井哲郎さんのはなしは、構造研の縄文期のことがビビッドに思いだされて、同時に未熟な自分も強くおもいおこされて、楽しいようなつらいような。宝谷さんのはなしも、これもまたまた昔あったことがつぎつぎに思いおこされて、自分の選んだ道は大ざっぱには間違ってなくても、でも沢山欠点があったなと思いおこされます。話題の中にはわたくしに遠慮してトーンダウンしたものもあるんですが、それはそれとして、そこまででも充分にかつての修羅場みたいなものもおもいおこされるのです。
山本さんのはなしに野村先生の亡くなられたことを知り、ショックでした。まったく知りませんでした。書きたいことは色々あるのですが、やめておきます。
わたくしの頭では42才以下とそれ以上で二回、やるのがいいという意見を言ったつもりですが、どうも厄年以後とその前で別れたと聞きました。そうだったかな、と思いました。
あさってがその厄年完了いぜんの出身者の会です。
わたくしは挨拶で、日本人のルーツは何なのか、どう考えるべきなのか、ということをしゃべりました。もちろんみなさんへの謝辞を述べたうえでのことですが。
二次会が4条烏丸であって、それに9時過ぎまでつきあって帰りました。
車中で妻とよもやま話をしました。