子供の頃に年取ったらつまり老齢になったら塚原朴伝にみたいになりたいと思ったことを突然おもいまだしました。
剣聖といわれたひとで、わたくしはたぶん小学校低学年の時によんだ本に影響を受けたのでしょう。漫画ではなく、たぶん講談あたりを元にした子供用の絵付きの読み物でしょう。つまり自転車でくる水飴も売るあの紙芝居で人気だった話を本にしたものなのでしょう。
どういうエピソードが気に入ったのか、ウィキペディアで探したらありました。
若い頃の宮本武蔵が老人となった塚原卜伝が庵でひとり食事の準備をしているときに背後から勝負を挑んで斬り込み、卜伝はとっさに囲炉裏にかかった鍋の木の蓋を盾にして武蔵の刀を受け止めたとする逸話でした。
なるほど背後からの必殺の剣をそんな薄い鍋の蓋で止めるのはすごい、こう思ったのでした。
剣聖があいてなので、こういう卑怯としかいえない方法での攻撃もゆるされたのでしょうか。
しかし、実際には武蔵が生まれるよりもずっと前に卜伝は死んでいるため、卜伝と武蔵が直接出会うことは有り得ないのだそうで、作り話なのだそうです。
激しい殺気を体の後ろに感じた,朴伝が裂帛の勢いでおろされた剣を止めるという話で、話の根幹は「気配」を感じる殺気を感じるところにあったのだと思います。
このような神業を持つ人間になりたい、まだ8才にもならない子供が憧れるような、時代だったのでしょう。
日本がまだまだ米国というか米軍の占領下にあった頃の話ですが、気配を感じる人間が,格として最高になるという基準があったのでしょう。
いまのわたくし、どのくらい無言のしかも背後の気配を感じられるのか、考えてみたいです。