科学者というか研究者は、わからないことになれば無力です。
わからない、と申し上げてうなだれる、こういう状況は多々あります。
わたくしが若い頃に地震学者に不信感をもっていたのも、地震予知なるものが出来るといって、政府から沢山の予算を獲得してなんら恥じない、そういう偏見からです。それに、大学院生の時に、同じ建物に理学部の地球物理の教室があって、著名な地震学者がこわい顔をしてそばを通る学生をにらみつけて、自分の自家用車を大学の建物の前で洗車しているのを見て以来、不信の念を持っていました。幼児の原体験の類です。
生命科学者が人々の放射能の感受性について何が言えるか、非常に強い放射能が体に間違いなくダメージを与えることは確信を持って言えるとしても弱い放射能がどのような影響を与えるのか、絶対安全とはいえない。しかし危険とも言い切れない。まさにうなだれることになるわけです。なぜそうなのか、それは今回の福島原発のような事例はきわめて希で、データとして使えるものが少ないのです。それにわたくしも何度も申し上げているように、放射線への感受性には個人差が大きい。
分からないことにどう対応するのか、放射能については山のように俗論というか確立しないレベルの知識があり、多くの場合研究者が言うこともそれに近いのです。つまり、かもしれない、そういう可能性がある、用心したほうがいい、そういう類の言説です。これでは、一般の人は困るばかりです。
いっぽうで、放射能をおそれるあまり、建物、家の中に子供を閉じ込めることから起きる心的なストレス、こちらのほうがずっと間違いなく言えることが多いでしょう。
福島での人々、特に子供のおかれている立場については、申し上げられることがすくなく、うなだれるばかりです。
そこで、わたくしがこれまで若い頃からどのように放射能とつきあったのか、思いだすままに書いてみます。
学生の頃、山登りを盛んにしていた頃、秩父増富ラジウム鉱泉にいったときは、なんの根拠も疑いもなく、ラジウムは体にいい、とおもい、ガブガブと鉱泉水を飲んだものです。
大学院の頃、電子顕微鏡を使い出した頃に、だれかにあなた電子線が蛍光版にあたると多量の放射線がでて、顕微鏡の筐体を通過してあんあたの体に注いでいるぞ、とおどかされたものです。でも、まさかと信じませんでした。後にスイスの大学であるヨーロッパ人が観察のたびに鉛のはいったエプロンをするのだと聞いて耳を疑いました。でも意見は研究者でも二分されていて、わたくしは分からないので、エプロンはしませんでした。
顕微鏡の試料を作成するのに、酢酸ウランの飽和溶液を使用します。誰も言いませんでしたが、ガイガーカウンターで測ると結構あります。でも日本ではまったく普通の試薬として売っていました。わたくしは5グラムぐらいで5年間は持つくらいの利用度でしたが、研究によってはすぐキログラム単位で使ったものです。後に管理は日本でも厳重になりましたが、欧州では、この溶液を使うときは結構大変で放射性物質としてやっている人がいました。でもわたくしの指導者の教授や技師は心配ないと笑っていたので、わたくしもその派に属していました。
放射性同位元素の利用は日本の大学は非常に厳重に取り扱いしていました。わたくしもそれを学習していたので、厳重にやりました。
しかし、外国、とくに米国でのいい加減さにただただ驚きました。どんどん水道水で実験で使った放射能を有する溶液を流してしまうのです。いまはどうか知りませんが、こんなにも違うのかとただただ驚いた記憶だけが残っています。
しかし、ひそひそというか折々にだれそれ先生が肺がんで亡くなったのはあれが原因じゃないか。
先天的に障害のあるお子さんが生まれたのは、あれが原因ではないか、という話は正直ありました。
トリチウムの水が放射能をものすごく持っていることはすこし考えれば分かるのですが、でもそれを大学の研究室が購入して、普通の部屋で使えば部屋全体が蒸気に吸着されて汚染してしまいます。
トリチウムは特別の計器で放射能を測りますので、しかも部屋の窓から壁に吸着すると、スメアテストという拭き取り検査でしかなかなか残存量が分かりません。今となると不思議ですが、トリチウムの水が大学などでは案外簡単に購入できる時代もあったのです。トリチウムは最悪の同位元素とも聞きます。
リン酸は半減期は比較的短いのですが、核酸の代謝を見るために強烈に高い放射能の物質を多量に大学の研究室ではかつて使ったものです。細心の注意を払っても被爆しがちです。わたくしは核酸代謝の実験をしませんでしたが、分子生物学のある時期放射性リンの使用は必須でした。すごい量をつかっていた友人がおりおりに悩みをわたくしに告げていました。まさに体を張った実験をしていたいのです。
ヨウ素の放射能もよく言われますが、すぐノドにたまります。計器でのどにたまっているのがすぐ分かるので、検査するときは怖いものです。
こういうことを書いてなんの足しになるのか、疑問があります。
でも放射性物質を使う研究者は被爆の効果が分からないことを承知したうえで職業上の必要性のために沢山の人たちが放射性物質を使ってきました。もう何十年もしてきているのです。そしてその被爆効果をきちんと調査したことはあまり聞いたことがありません。
厳重な管理にあるとはいえ、やはり上で述べたように不明な点も常にあり、個人的なリスクとして考えられがちです。
国家的な事業として、従事した人々の調査聞き取りは意味があるに違いありません。X線技師や放射線治療に従事する人々も含めてです。