最近何度かわたくしは自分の受けた初等教育(つまり小学校の6年間)が優れたものであることに気がついたことがありました。
戦後史の一つの小さな証言として以下に書いておきたいとおもいます。
どこが優れているか、まず愚かなイデオロギーや過度のしつけや行動の束縛がありませんでした。母親が学校参観にきて活力はあるがあまりの無秩序さにあきれて先生が悪いのか子供が悪いのかどう考えたらいいものやら困っているように見えたものです。
戦争が終わってまだ2年か3年国全体が貧困かつ前途の困難さに足がすくんでいた時代でしょう。
一見無秩序にみえて実際にはそうでもなく、わたくしは国語も、算数も理科も、社会もそして図画工作や体育も力一杯めいっぱい学んだような気がします。
たとえば小学校6年で実社会で働いたとしても使い物になるようなそういう教育も残っていたような気がします。つまり役に立つ(尋常)小学校教育です。
一方で米国占領下でもあり(しかたなく)IQテストとか職業適性検査などもありました。意味もわからず自分は肉体労働でも頭脳労働でもどちらも優れている判定され誇りに思った記憶があります。
クラスは50人を越えているわけですから雑然としているのはとうぜんでした。
そこで99の暗算やそろばんのスピードを競えばトップからビリまで相当な落差があるのはあたりまえです。
でもそれでも教師も生徒も差は差、でもだからどうということはない、という程度の認識でした。東京のはずれ練馬区の畑はトイレのにおいがするようなところでの教育でしたから。
でもそこでわたくしは大人になるのに最低限必要な教育をしっかり学んだものです。度量衡が尺貫法からメートル法に変わる時期ですっかり変換を暗記したわたくしは親から見ても大変役に立つ子供だったとおもいます。
すべてがアナログの機械の時代ですから少年にとってはいくらでも頭脳を使う対象はあり、自分でいうのもなんですが、小学校を卒業した自分はもう社会でも十分働けると思ったものです。
学力的にもいまから見てもどこの国のトップクラスの小学生にも語学以外はひけを取らなかったはずです。
いまから思うと、何か特別な教育があったのか?
何もなかったのだとおもいます。
男性教師の多くは戦地帰りでしたが戦争の話などを聞いたことはなかったし、しゃべっているのも聞いたことはありません。唯一コッペ先生というあだ名の先生が昼の給食前にコッペパンを食べているのを目撃されていてなにか戦争体験と関係があるらしいと聞いた記憶があります。
愛国教育などはされたつもりはまったくありませんが、でもやはり意識下においてされたのだと思います。
敗戦国の未来はこの子たちにすべてかかっていると信じたであろう先生方の気持ちがいつのまにかどこかで伝播したのでしょう。
米国に対して恨みも憎しみも一切植え付けられませんでしたが、でもあこがれも羨望もなかったのは事実です。こういう敗戦後のおとなが虚脱していた時期に、ほったらかされていたようなわれわれはやはり親とその一つ上の世代を見たり影響を受けて育ったのでしょう。
わたくしもいまでも暗算が自分で驚くほど速いのはその頃の教育のおかげなのは間違いありません。
それだから昔の教育が良かったと言っているのではありません。
自然体の全人教育を公立の小学校で6年間、受けたということ、内容的にいまの教育にまったく劣らないと思われるということです。