たばこをいかにして止めるか

アスベストや米国産牛肉にこれだけの高い関心を持っている、同じ識者や国民のかたがたが喫煙にむけては関心が低いのはほんとに困ったことです。

わたくし自身たばこを止めてもう25年くらい経ちますので、今更なのですが、しかし世の中には家族の誰かを止めさせたいと願っている人達はまだたくさんいますね。ですから、たばこをいかにしてやめるかは、社会的にかなり大切なことです。

アスベスト被害とどこか一致しているのは、副煙琉という傍にいる人がたばこの煙を永年吸えば被害がおこるのです。たばこを原因とする、肺がんもそのひとつですが、種々の病気になるということです。このあいだ仰木監督が肺がんで亡くなったということでしたが、監督はたばこをまったく吸わないということでした。しかし、お酒のほうは大好きだったと聞くと、わたくしなどはつい副煙流効果を考えてしまいます。わたくしが碁をやめたのも、飲み屋に行く回数が減ったのも、たばこを一度やめると傍にたばこを吸う人がいる場所に行く機会は減っていきますから。

まず職場での喫煙が禁止となるのが一番です。職業人なら、これがいちばん効果的です。かなりの人はこれで喫煙習慣から脱落するはずです。勤務時間にたばこを吸いに建物の外へ出れば、その時間働いてないわけです。一本あたり5分としても10本で一日約1時間職場を離脱してるのです。軽侮と非難に近い目つきで同僚に見られている(ような気がする)なら、しめたものです。プライドの高い人ならだんだんやめていくはずです。
周囲で吸う人がほとんどいなければ、やはりたばこも止めやすいものです。
周囲ですぱすぱ吸ったり、吸うのを勧められる環境では、やめたいと思ってもなかなかやめにくいものです。家庭や職場の通常の往復で誰も吸わない、もしくはほとんど吸わなければ、禁煙環境としては理想的でしょう。
やめようと決心するときは、止めようと思うのでなく、もう今後一生吸わないとおもうのが良いみたいです。毎日吸っているのに、もう一生吸わないというのは悲壮な決意のように感じるはずですが、それくらいの決意でないと、なかなか麻薬ニコチンとの決別は難しいのです。
止めようと思う動機は、健康とか家族とか職場での雰囲気とか色々あるでしょうが、案外自分が惨めというか哀れになってくるのがたまらなくなってくるのが効果的なような気がします。
わたくしの場合はこれでした。海外での旅行をすると、友人の家に呼ばれたりしたときに、たばこが吸いたくてたまらなくなることがよくありました。でも吸えません。そういうときは、談笑したりしていても、あとどれくらい時間が立てば、ホテルに戻ってたばこを吸えるかなどと、そわそわしてきました。そんな風に考えてる自分がいやになってきたものでした。わたくしの研究分野では70年代半ばでもうすでに例外的な人しか吸ってないのが米国の状況でしたので、そういう意味では、米国研究者のおかげでわたくしも早々とやめられた方でした。
しかし、30代半ばから禁煙にチャレンジして、数回失敗しています。一回は3年禁煙が続いたのに、そのあと戻ってしまったこともありましたので、自分では禁煙のベテランと思っています。
禁煙の最初の数週間は、吸いたくなったら決して味のある飲み物を飲まずに、単に水を飲むのがいいようです。たばこを止めてしばらくすると、お酒を飲むとやたらに酩酊した記憶もあります。つまり、たばこを飲んでる時間でアルコール量が抑えられていたのでしょう。それから、体重も増えがちです。これを乗り越えるためにも、水がいいようです。一日になんべんかすごく吸いたくなる時間帯があるので、その時間帯をいかにやり過ごすかも大切なのです。
もう一つ、よく勧めているのは、たばこ購入に要している月額の30から50%を増やした金額をそれまで我慢していた趣味にまわすのもいいようです。
わたくしは、たばこを止めてからCDをたくさん買うようになりました。

外国の友人ではニコチンパッドで止めた人が割合いますが、日本では知りません。
大げさに感じるのかもしれません。しかし、喫煙は一種の病気と思ってしまうのがいちばん楽で、いいのかもしれません。ですから、医者に相談して止めるというのが意外と精神的には楽かもしれません。
仲間で一緒にやると、止められるという人もおられるようです。禁煙グループを作って、互いに励まし合うのだそうです。

ご家族で、たばこをどうしても止めさせたいと思う人がおられる場合、やはりその人にいちばんむいた方法で止めるのがいちばんいいでしょう。

ここで夕食をとるべく新聞を見ましたら、朝日新聞の視点に米本昇平さんがES細胞疑惑について、この事件は弾劾するのでなく、黄教授の人柄と立場、韓国社会の事情などを考慮すべきだと、言ってます。ちょっと違うのではないかと読み進んでみると、さいごには「韓国社会の基層には、先端医療でも早く超一級国になりたいとする情熱が流れている。黄教授はその犠牲者だと思えてならないのである。」と結んでました。途中には黄教授が母子家庭で苦学したことなどのエピソードなどもあり、黄教授が国家的な期待と圧力からこのような事態をひきおこしたと、書いてあります。
ここには、捏造データを出している研究者に対する怒りがまったく感じられません。しかも、ファン教授が大変な権力者にのぼりりつめ、多大な研究費をつかっていたという研究者としての「酒池肉林」的側面もまったく考慮されてるようには思えません。そもそもファン教授がなにかのシステムの犠牲者なら、すべての悪事を行う人間はなにかの犠牲者的側面があることは明白であり、科学の世界での捏造問題を真剣に論じなければならないときに、このような意見がわが国を代表する新聞ででてくるのは真に驚きでした。
他に意見を言う研究者はこの問題についていないのでしょうか。

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