きょうはうらうらとよい天気でした。午前に前から頼まれていた論文をひとつ読んでリポートをだいたい書きました。後でもういっぺん読んでから、送りましょう。
昼頃に妻と比良山麓のほうに向かい、途中でよく食べるそば屋により昼食をとり、けさの読売新聞を見ましたら、中曽根元首相の論説がありました。皇室典範の改正は急ぐべきではないという意見は同感ですが、女系天皇はいけないと言う意見、分かるような気もするが、同感とはいえませんでした。もう少し、時間をかけて考えてみたい問題です。
中曽根元首相は終わりのほうで、注目すべき意見を靖国参拝問題で述べてました。つまり、靖国神社に天皇陛下が参拝できるように神主は真剣に考え直すべきだという提言です。戦争で死んだ軍人の多くは陛下のために死んだのであり、天皇が参拝できるように靖国神社は努力すべきだと言うのです。これに、わたくしは、はっとしました。中曽根元首相の指摘する通りです。首相参拝は、今もかつても、もっとも重要な問題ではないのです。天皇参拝こそが、もっとも重要な課題ではないか。戦争で死んだ人達は天皇陛下の参拝を最も望んでるでしょう。卓見というか、ある意味でコロンブスの卵的な正論だと思いました。小泉首相が参拝しても、陛下が参拝されなければ、戦死したひとたちにとって、ほとんど意味がないのかもしれません。そういう意味で、それを出来るようにするのは、靖国の神主の権限の範囲ではないのか。そもそも陛下が参拝出来なくなったのは、靖国神社神主がA級戦犯を合祀した以降なので、その時代に戻さざるをえないのではないか。元首相の論旨は明解に思えました。
さて、きょうはタイトルにあるように、助けながら邪魔をするという、コンセプトにちょっと触れてみます。この場合、助けるはむしろ扶けると書いたほうが適切かもしれません。もう長いこと、研究しているあるタンパク質はこういうヘンな働きをしているのです。パートナーとなる別のタンパク質に結合しているのですが、結合はパートナーを助けつつ、なおかつパートナーが働けないように邪魔する、阻害するといってもいいのかもしれません。そんなふうに働くのです。助けながら邪魔するなんて、ずいぶん変な話しだと感じるかたもおられるかもしれません。
いつもいつも邪魔をしてるかというと、そうではなく、パートナーから離脱する時期があります、離脱すると壊されます。というか、壊されると離脱すると言ったほうが正確かもしれません。この邪魔しつつ助けるタンパク質の結合から自由になると、パートナータンパク質のほうは自らの本来の働きを果たせるのです。
それじゃ、助けてるというのはどういうことなのか。パートナーのほうはそれだけではかなり不安定で、助け役のタンパク質がないと、壊れやすくなります。そういうわけで、いつも助け役に結合してもらってないと、不安定なのです。その本来の働きも、ごく短時間発揮できればいいので、大抵は助け役に結合して安定化され、なおかつ、その本来の働きも邪魔されてるのです。
ここまでのはなし、擬人的に理解しようとする人もいるかもしれません。わたくしも研究の過程では、いろんなことを理解するために、無意識のうちに擬人的に考えたりすることがよくあります。
パートナー分子の本来の働きは、平素は細胞にとって毒というかあっては困るので、しっかり邪魔をしてないといけないらしいのです。ですから、毒性発揮を邪魔することにたいへん意味があるのです。細胞の側わからみれば、そんな毒が長時間あっては困るのです。それで、短時間で毒性が失われるように不安定にしているのでしょうか。そうなると、この助けて、邪魔をするとという役割の、助けてというのは、本来不安定なパートナー分子が、ごく短時間大切な働きをする瞬間のために、その能力を抑え込むことと一体的な働きのようにもおもえます。
この助けつつ邪魔をする分子を壊す仕組みはとても複雑です。いろいろなタンパク質がこの分子をあるタイミングでしっかり壊せるように働きます。
わたくしは、その仕組みにとても興味をもっているのです。