連休中のSさんの定年退職の会の時のあいさつで、ぜひ言おうと思っていたのですが、長いあいさつはよくないと思って、結局言うのをやめてしまった部分があるのですが、それは退職後の一年をかなり長く感じたということと、定年後の生活はたぶん誰にとってもかなり未知の世界なので分からないことが多々あるということでした。これを説明すると長くなりそうなので止めたのですが、実感としてはそういうことです。
そもそも退職金をいくら貰えるのか、などという一事をとってもまったく未知のことです。それに自分が世間を見る目、見られる目、こういう基本的なこともある程度時間が経たないと、落ち着いてきません。
わたくしは、沖縄のほうの仕事は継続してましたが、なんといっても大学の方は32年間勤めたのですから、また辞めても実際にはラボにほぼ毎日来ていてもそう感じたわけですから、完全に切り離されたときはもっと未知の世界だったと思われます。
今朝の朝日新聞をみますと、文科省が研究面でのトップレベルでの大学院をさらに選別化する、いっぽうで教育方向にも「魅力ある大学院教育イニシアティブ」の採択数を大幅に増やして、支援するとのことでした。そういえば、この研究主導型COEの審査があったのが、ほぼ5年前にあったかと懐かしく思い出しました。当時の総長はすべての審査に出席してわれわれの生命科学の研究科の時にも適切な導入をしてもらったものでした。この5年間の更新期が迫ってきたので、文科省は一段と選別化を進める一方で、教育に熱心な大学院にも相当な支援をする、と決めたようです。これらどちらの予算も大学には相当なインパクトがあり、行政がいかに大学を変えうるかを、実証したものでした。大学を望ましい方向に動機付けするためにも、これらの助成費のメリハリは注目に値するものです。
しかし、わたくしも実際には現役を去っているので、こうやってブログなどで意見を述べてはいるものの、実務からは完全に切れてますので、なるほど定年退職というのは、人材養成の任務を大学から解かれたのだな、と実感するわけです。もちろんそれでなんの不満もなく、むしろそれでもなおかつ研究を大学でやらせていただけてありがたいとおもいますが。
いまわたくしがやってることが、人材養成的な側面があるとすると、それはいわゆる私塾的なもので、公には存在しないということなのです。教育にはそういう面が多々ありますし、昔から日本はそんな風に成り立ってきているのでしょう。そんなことも辞めて一年経って分かってくることです。