疲れの回復、どぎつすぎるテレビ番組

この一週間、東京の往復がなんべんかあって、それにブログに書かないことも、ありまして、やはりかなり疲れたみたいでして、朝からは仕事の予定は全部やめて。じっとしてました。
なにもしないといっても、新聞読んだり、ストーブの火をつけたり、妻がいないので、食事の準備などはせざるをえませんが、ひる近くなって、二回目のコーヒーを飲んだ頃から、疲れが薄皮をはぐようにとれてきました。
庭に出てなにかする気力も回復してきたので、例の優れものの電気ノコギリで薪をつくったり、はしごに昇ってクヌギの木の余計な枝を落としたりして、運動をしているうちにだんだん元気になってきました。
このあいだから庭にやって来るようになったヒヨドリが、きょうはつがいで、ひんぴんと来ています。夕方になったら、妻も戻ってきて、雑談をしているうちに、なんとか通常程度の体調に戻ったことを自覚しました。疲れはやはり、じっとしてから、軽い運動をするのがわたくしにはいちばん良い対応のようです。

その間、ぼーっとして眺めていた、テレビ番組のバラエティというのですか、どれをみてもつくりがどぎついのが気になりました。
米国で作られたのでしょうか、長いこと意識が戻らなかった男性が、意識が戻ったエピソードなども、素材はやはり驚くべきことなのでしょうが、それの料理のしかたがとてもいやらしいというか見ていると辟易するような疑似科学的構成になっていました。そこに出てきてコメントしているひとはたしかにわたくしも名前を知っている生命科学系の研究者ですが、そんなことよく断定的にいえるなあ、と呆れるような内容のコメントの言い方でした。

テレビ的なわかりやすさを追求するのでしょうか、それで原色的な極端にコントラストをあげて説明するようなかたちになるので、わたくしには後味がたいへん悪いです。その後で見た、専門家が芸能人の健康度を判定するような番組ですが、これもどぎつい構成で、視聴者を面白がらせてるようで、結局は馬鹿にしているのではないのでしょうか。
コメンテーターが研究者とか医者とか専門家を呼んでくれば、あるある事典のような二の舞を踏まないし、なにかあればその専門家に批判が向かうはずという、計算もあるのでしょうか。しかし、専門家で面白そうなことを率先していうような人たちは往々にして、分かってもないことを分かったことのように平気でいえる人種が多いのですから、疑似科学的な番組がこれからはどんどん増えるような気がします。
本当はだれかが批判しなければいけないのでしょうが、テレビ局のほうは批判がでれば消耗品のように専門家を取り替えるだけになるでしょう。
結局TV局がどぎつい路線をよしとして追求する限り、同じことの繰り返しがおきるのでしょう。
テレビ局内部での反省がないかぎり、このような路線はいつまでも続くのでしょうか。しかし、聴取者の批判はあんがい次はこのあたりに向かうかもしれません。

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