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インドからの本物の発信、

ムンバイから香港経由で那覇空港に戻りました。Jet Airways, Hong Kong Airwayというあまり聞いたことのない会社の便ですが、時刻通りに香港を経由して、午後には自宅の戻りました。やはりムンバイの町は疲れます。このIIT研...
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インドの基礎と応用の研究、インドの人々、追記:望まれる政治家像の確立。

今回わたくしを基調講演に招待したオーガナイザーのひとたちはわたくしが長年やってきた染色体分配とか、セントロメアや動原体のはなしをするのではないか、とおもわれたのでしょう。それが老化やエージングの話題でどうだったかな、ともおもいますが、人の老...
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ムンバイの人たち、恩讐のかなたに

昨日は講演のあとで、かつてポスドクでいまはデリーの近くの大学で助教授をしているRMさんとつきあいました。かれのいとこ夫妻の家にいってそのあと彼等が経営するジムをみて、庶民の生活の見聞をふかめたらどうか、と言うことです。実際にいってみて、非常...
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インドのひとたち、やれやれやはりコネか

昨日、基調講演ぶじすみました。内容がこなれてきたな、とおもいます。インドの若い女性にはシャイな人が多いですが、きょうになって何人かが、よく分かって面白かった、ちょっと質問していいか、とおずおずと聞きに来た人たちもいました。一方でインドの若者...
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ムンバイ第一夜、翌日

さくじつやはりよれよれに疲れて深夜のムンバイ空港に着きましたが、迎えの群衆にわたくしの名前の看板をもった若い女性を見つけました。彼女が連れて行ってくれた空港の一角に旧知のYSさんがいました。かれはインド人ですが、シンガポールにいます。まさに...
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アジアの時代、香港空港にて考える

ホンコンのだだっ広い空港をトランジットのためにひたすら早足で歩きながら(とはいえ10分程度)、アジアの時代を生きるには相当な体力と神経の太さ、それにちょっとした創意工夫が必要、じぶんは70才だがまだ充分資格はあるなと再認識しました。もしもあ...
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開戦70年後、大学院大学いかに沖縄とむきあうのか

きょうは12月8日、太平洋戦争の開戦70年後です。まえにもなんども書いた記憶がありますが、終戦の日ではなく、開戦の日を日本人は反省の日とすべきだと思っています。きりのよい年ですが、特に記念の行事はないようです。この日は真珠湾攻撃の日と日本人...
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中国の今、日本の40年後

聞いた話しなので確かめたわけではありませんが、聞いたとおり書いて見ます。中国の建築工事では、24時間休み無しにやる、土日はない、だから非常に速く進む。この北京大学構内の学部教育棟、非常に大きいものですが、わずか四ヶ月でできました。鉄道や地下...
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沖縄、ムンバイ、わたくしは厚顔

きょうから沖縄で、いま伊丹空港です。われながらからだがよくもつな、と感心しています。9日からはインドムンバイで、香港経由でいきます。その講演準備もあります。劈頭の基調講演ですし気は抜けません。ラボのひとたちとも話す必要があります。この大学の...
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北京の空気、これからの日本人の生活水準、大学ランキング、これからの日本の活路

関空近くになって空から見る景色でおもったことは日本は中国の都市にあるスモッグがほとんどないな、ということでした。実際関空の空気がきれいに感じたことはかつて無かったのに今回は感じました。北京は雪のおかげで空中の塵埃が地面におちてずいぶん空気が...