きょうもまた快晴です。
この新しいオフィスは、ガラス張りでラボの半分くらいの人たちと同じ部屋にいてしきりがあるというかたちになります。ガラスは一枚なのでわたくしが大声でしゃべれば、みんな聞こえます。外を見るとすぐしたに、百万遍の四つ角が見え、たくさんの人が歩いたり、横断歩道で待っているのが、直下に見えます。外側には二重窓になっているので、音はほとんど聞こえません。
遠くに北山が見えます。きょうはよく見えます。高さが同じなので、時雨でもならないと迫力がありません。
比叡山は目の前の松とお寺の屋根で見えにくいのですが、こちらのほうは立派な山容です。
眺めもいいし、オフィスとしては最高クラスでしょう。
ここのところしゃかりきにやっていた、N君の論文もすこしかたちを見せてきて、山登りだと5合目を越えたくらいなので、小休止です。沖縄のS君のは8合目を越えました。
そのために、外国関係で他の原稿で多大な不義理をしているのもあるのですが、しかたありません。
ちょっときょうはひと心地がもどって、机の周辺の書類などを片づけています。ぎょっとするような書類も出てきます。なにも対応しないでも時が経過してしまって、いまさら動くわけにもいかないし、書類の整理は相当部分、忘却に依存しています。わたくしの場合。
謝りの手紙も三種類くらいあって、軽いのから平謝りのまであります。
忘却して、これで一週間の労力をしないですんだ、謝る一方で、うれしくてたまらなくなる、という経験を40代前半で経験してから、無実の忘却つまり意図的でない忘却がおりおりに起こるようになっています。
考えてみれば、宿題を忘れてやらないで済ませてくれる先生がいたことを知ったときの喜びがこのたぐいの喜びの源流にあります。
追記
きのうのサッカーの試合の感想を書かないと。
埼玉スタジアム、久しぶりの満員、こうなれば試合に必死になるのは当然でしょう。
じっさい久しぶりに日本男子の死にものぐるいの表情、戦い、頑張りを見ました。特に中村俊輔、遠藤など。ただ、シュートに失敗した玉田が笑っているのは理解できませんでした。
しかし負けといわれる引き分けが結果。どうしても批判は指導者に向かうでしょう。
岡田監督に、戦前に根拠のない楽観があったのではないか、そう感じさせるものがありました。形勢非になってから、打つ手がぴんとくるものが全然なかったように思います。次ぎ負けたら監督交代というスポーツ紙の見出し(読んでませんが)はとうぜんか、と思いました。
指導者は形勢が非になってからの、打つ手と態度が肝心でしょう。