けさはやはり早く起きまして、ワールドカップ前哨のドイツ戦を見ました。
なかなか力を見せてくれて、このあいだの国内での壮行試合とはうってかわって見所がありました。しかし、このテレビ放映、一時間も遅れてやっているので、インターネットニュースを開けると、大きくドイツと2:2で引き分けと出てるではないですか。まったく馬鹿にしています。一日前に開けたビールを飲まされてる気分でした。こういう時間の遅れたものを放映するテレビ局の責任者の弁明を聞きたいものです。
さて、きょうのタイトルですが、研究者は研究の進め方について悲観的なのと楽観的なのとどちらが良いかです。
わたくしは、生まれつき悲観的な人の方が潜在的にはいい研究者になれるとおもってます。ただ、研究意欲を維持するにはどうしても前向き、夢を持たねばなりません。この部分はどうしても楽観的な性格的要素を必要としています。
しかし、実験の進め方、データの出し方、データの判断、どれをとっても悲観的な見方の出来る人がやはり伸びるものです。ただ、悲観してその路線の実験のやる気がなくなってしまうのではやはり駄目です。
悲観というのはいつも駄目になる可能性をあれこれ考えていける能力のことをいってるつもりです。生まれつきか努力でそうなるか、とりあえず、ネガティブな可能性をあれこれ考えて、どうしてもネガティブな可能性が見つからなければ、本物かもしれません。
ある程度大きなテーマを目指したら成功する可能性はそう高くないのですから、おもしろいよりつまらない可能性を否定していくことは研究を進める上でも大切です。
一つの珠玉のような真実を発見した実験の8割か9割の部分がコントロールの部分と言うのは良くあることです。十重二十重につまらない可能性を否定しなければなりません。それをかいくぐって真理がやってくるものでしょう。
それで、悲観的な楽観主義、つまり最後に大きく笑うためには途中では相当な悲観的考えに苛まされることがあるだろうという考えが、まあかなり健全な実験科学者の一つの態度のような気がします
きょうある学生さんの出したデータについて、話した後での感想です。