岡田節人さんを偲ぶ

京都に休みに来た一つの理由は、「ときんど」さんつまり岡田節人さんの偲ぶ会に出るつもりでした。一に奥様に会いたい、お顔を拝見してひと言でも二言でも言葉を交わしたい、これがわたくしの強い気持ちでした。それが満たされてとても幸せです。

節人さん、奥様あっての節人さんでした。奥様にあえれば元気な時のときんどさんが芋づる式に記憶のひだから立ち上がってきて、おい柳田さん、どうしとる元気かという、例の声色が聞こえるようです。
しのぶ会ではときんどさんの独演会の録音でも聞けるとかと思っていたのですが、工夫をこらした音楽が流れていて、聞いたことがない曲が沢山、でも岡田先生のウイット溢れたことばでの説明が欲しかったのでしたが、ご子息がそのさわりをすこしやって頂いたので満足です。
壮年期で元気な時組織の長になる前の岡田さんのすぐ傍で日常生活を送っていた時代、なんかあれば昼飯時、お茶のみ時、麻雀の時間帯など、会ってえんえん四方山話をしたものです。
こうやって考えて見ると失った時間はあまりにおおきい。
でも余りある豊穣な時間、ときんどさんの話を聞いたおかげで会話を空想することはできます。
ときんどさんと研究不正のことを話題にしたことはありませんでした。我々が30代、40代の頃、不正事件は日本国内では大変珍しい、たとえあったとしても、表現悪いが実行者は小物(こもの)が多かった。ボスの学説に合うように、ハエの目玉眼を色で塗ったとか笑いはあっても知的というか不正の技や知的に感心するような不正は殆どなかったのでしょう。
今の時代のように有名ジャーナルに毎年論文を発表したり、知名度も高く、大きな賞ももらうような人達が不正を働くなどありえないし、想像できないでした。
ときんどさんだったらなんでそんなことをする、いったいどういう人なんだという疑問が前面にでるでしょう。あんがいこわがりで心づかいをする細やかな方でしたので、一体どんな人、そういう人と喋らねばならぬ羽目におちいったら、どうしようと好奇心はあるもののでもまず誰かの意見を聞いたでしょう。先生は大変な蛇嫌いで、漫画でもぱらぱらめくって蛇が出ないことを確認してから読みだしたと、Yさんが言ってました。
それでこういうことには鈍感で乱暴な気性もある程度所持しているわたくしにたぶんきくでしょう。柳田さん、あの例の噂の御仁、ほんまにやったのか、とたぶん聞かれるでしょう。わたくしがどうもそうらしいですよ、と返事をすると、若い奴をそそのかしたのではないか、とたぶん聞くでしょう。まさか、自ら身の破滅となるようなことを自ら実行などするはずがないと。それで、わたくしが、どうもおそろしいことに自分でやってしまったという噂を聞いたし、それが一番わかりやすい説明みたいといえば、たぶん次から次になんでそんなことをやるのだと沢山質問があったでしょう。恐がりの先生としてはそんなことなどあって欲しくない、と。
頭脳明晰、人間の理解が格別に深いかたでなので、目の前にあの学会講演などで脚光をあびていた御仁がそんな人物であったととは到底信じたくない、そんなおぞましいことはあって欲しくない。先生はやはり上品なかただったな、とおもいます。
不正などする人間を理解出来ないでしょう。たぶん、ひと皮剥けば高名な捏造者も粗雑な人間なら納得するのかもしれません。
こんな想像まったく間違ってるかもしれません。でもわたくしがこの何年間、不正の問題にぶつかったときにあって話したかった人のナンバーワンがときんど先生でした。
おぞましいものにであった時に先生の考えはどう動くか、それを知りたかったです。つまりわたくし自身の感じ方は大丈夫なのか、という不安がいつもありました。
彼とはなすことによりバランスをえたかったのでした。
しかしいくら偲んでも答えはでてきません。しかたないな、もう時は決して戻らない、これも生きるうえでの沢山のことの一つなのでしょう。
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